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トランスユーロアカデミーHP開設


トランスユーロでは今年の春より「トランスユーロアカデミー」を開校し、代表取締役の加藤が自ら教壇に立ちドイツ語特許翻訳入門講座をスタートしました。講座は順調に進み、16名の受講生が無事に入門講座を修了する見込みです。

 

そのトランスユーロアカデミーのホームページが完成しましたので、お知らせ致します。是非ご覧になってください。

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2020.09.02

特許翻訳

会長の翻訳講談シリーズ2
日本-ドイツを往復した伊号第八潜水艦とペニシリンの「碧素」という訳語


今回は、第二次世界大戦中の潜水艦にまつわる伝説をもう1つご紹介したいと思います。今回の伝説を生み出した潜水艦、それは日本の「伊号第八潜水艦」です。前回は、戦時中にドイツから日本へ派遣され日本に譲渡されたUボート潜水艦「U-511号」(日本名:呂号第五百潜水艦)をご紹介しましたが、実は当時、日本からドイツへ向けて日本の潜水艦も数隻送り出されました。戦争中に日本からドイツへ派遣された日本の潜水艦は計5隻ありますが、この伊号第八潜水艦は、日本とドイツの間の往復航行に成功した唯一の潜水艦です。

射出成形機Isomaを運んだUボート潜水艦と洋上ですれ違う

伊号第八潜水艦は、1943年(昭和18年)6月、ドイツへ向けて呉港を出航しました。艦長は、潜水学校教官の経験もある古参の内野信二海軍大佐。前回ご紹介したUボート潜水艦が射出成形機Isomaと共にドイツ占領下のフランス・ロリアン港を日本に向けて出発したのが1943年5月で広島の呉港に到着したのが同年8月なので、なんと両艦は途中洋上ですれ違っているのです。伊号第八潜水艦は、Uボートが航行したコースの逆を辿り、インド洋(der Indische Ozean)から喜望峰(das Kap der Guten Hoffnung)を経由して大西洋(der Atlantische Ozean)に抜け、大西洋上では、イギリス海軍の哨戒部隊から激しい攻撃を受けながらも同年8月にドイツ占領下のフランスのブレスト(Brest)港に到着しました。

伊号第八潜水艦は、ドイツのUボート潜水艦よりもはるかに大きな船体を有していたので、ドイツでは、U-BootではなくU-Kreuzer(潜水巡洋艦)と呼ばれたそうです。ドイツでは、ダイムラーベンツ社の魚雷艇用エンジンやレーダー装置など、当時のドイツの最新軍事技術を積み込んで同年10月にブレスト港から再び日本に向けて出発しました。スペインのオルテガル(Ortegal)岬沖合を通過し、大西洋を南下し、再び喜望峰を経由してインド洋を抜け、12月上旬にシンガポールに到着し、その後12月21日に無事に呉港に帰還し、日独往復航行という快挙を成し遂げました。戦時中に日本とドイツを往復した潜水艦は、後にも先にもこの「伊号第八潜水艦」唯一隻です。

伊号第八潜水艦が運んできたドイツ医学誌がもたらした奇跡の碧素

さて、実はこのときに「伊号第八潜水艦」は、ドイツの最新軍事技術の他に、日本の医療の後世の歴史に大きな影響を与える貴重な雑誌を運んできました。それは、ドイツの「Klinische Wochenschrift」(臨床週報)という医学雑誌です。この雑誌には、ペニシリンに関するキーゼ(Kiese)博士の総説が掲載されていたそうです。ペニシリンは、青カビの一種から発見された抗生物質で「奇跡の薬」と言われ、負傷兵の細菌感染症治療薬として使用されていましたが、当時の日本はその情報をほとんど知らなかったそうです。そこで、医学雑誌の存在を知った当時の陸軍軍医学校がこのキーゼ博士の総説に目を付け、この総説のドイツ語を日本語に翻訳して研究を重ね、そして遂に国産のペニシリンの開発に成功したそうです。ドイツ語翻訳を担当したのは、陸軍軍医学校の少佐・梅澤濱夫(うめざわ はまお)という人物です。当時は敵性語が使えなかったという事情からでしょうか、「ペニシリンPenizillin」という名称自体の日本語訳にも相当苦労したようです。

そして、苦労の挙げ句、Penizillinはなんと「碧素」(へきそ)と翻訳されました。「碧素」なんて聞いたことありますか? ペニシリンは青カビから作るので、アオカビの青にちなんで「碧(あお)」という漢字を使ったようです。これについては、1972年(昭和47年)から放送されたNHKの「スポットライト」というユニーク歴史TV番組で詳しく扱われています。タイトルはズバリ「碧素誕生」。どうやらペニシリンにも日本名を付けろと言われて、当時の第一高等学校の学生に日本名が募集されたそうです。名付け親の方の証言をそのまま引用すると、以下の通りです:

青カビから作るというので青カビにちなんだ名前が多く、一時は『アオカビン』という名前になりそうだったそうです。…ところが審査するのは軍医学校の偉い方。兵隊さんというのは大体頭がハゲてますから、『ハゲチャビン』と似ているということで落第しました…。たまたま私が紺碧の“碧”が綺麗な字だなということで書いておいたら当たっちゃったということで…。」というウソのような面白い経緯があるそうです。

彼らの研究によって「碧素」は、わずか1年足らずで大量生産にこぎ着け、昭和20年3月の東京大空襲の際には実際に一般の人に投与され、その効力が実証されたそうです。現在、ペニシリンを「碧素」と呼ぶことは希ですが、しかし、もし「アオカビン」という訳語が正式名称として採用されていたら、そのユニークさからもしかしたら全国に定着し、現在でも「アオカビン」という呼び名が使われていたかもしれませんね(笑)。

何気に使っている翻訳語の重み

戦時中にドイツ-日本間を航行した潜水艦と、これらの潜水艦によって日本に持ち込まれた「Spritzgießen」や「Penizillin」などの新技術、そしてこれらの新技術に与えられた独特な翻訳語。これらの潜水艦の数奇な運命を思うと、現在我々が何気に使っている翻訳語が、実は多くの人間の運命を左右した歴史的な経緯を経ていることを改めて認識させられますね。トランスユーロも、そうした先人たちの思いを大切にして、技術や文化の面で日本とドイツを結ぶ「言葉の使者」でありたいと願っています。

今回は2回にわたり、日本-ドイツ間を行き来した伝説の潜水艦と、それにまつわる翻訳語をご紹介しました。日本とドイツを行き来した潜水艦の決死の運命については、吉村昭著の「深海の使者」(文春文庫)という本に詳しく描かれています。よろしければ覗いてみてください。

Fortsetzung folgt

 

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