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2019.05.15

神田

KANDA② 湯島聖堂-江戸時代の学問の中心地


江戸時代は、戦国時代の後に265年続いた平和な時代でした。江戸幕府は安定し豊かになった国力を学問・教育に対しても注ぎました。その江戸時代の学問の中心となったのが、ここ「神田」なのです。

中国風の建物

前回紹介した純和風な神田明神のすぐ近くにある湯島聖堂は中国風の建築で、初めて目にした人は、この建物はいったい何なのか?と疑問に思うかもしれません。湯島聖堂は、江戸時代に将軍綱吉の命令で幕府の学問所として建てられました。正式には何度か火災や地震に遭ったため、現在見られるものは1935年に江戸時代の様式を残して再建した建物になります。

そこで教えられていた学問は中国の聖人孔子の教えで、一般的な礼儀の考え方から、倫理を重んじる政治思想まで、江戸時代の統治機構に合った学問だったと言われています。

湯島聖堂の孔子像

湯島聖堂に立つ孔子像は世界最大の孔子像と言われています。台湾のライオンズクラブから寄贈されたもので、にこやかな親しみやすい表情です。ちなみに、孔子先生には弟子が3000人いたと伝えられています。

中庸?

湯島聖堂には「宥座の器」という「中庸」の精神を具現化した興味深い装置が置いてあります。以下が宥座の器です。

中庸とは、過不足なく偏りのない状態をさします。写真の器は水が丁度良く入っていればまっすぐに安定していますが、水が少ないと不安定で傾き、水を多く入れ過ぎてもやはり傾いて水がこぼれてしまいます。

西洋にも似たような哲学的な思想がありますね。孔子のいう中庸と、例えばアリストテレスの中庸が同じものを指すかどうかは分かりませんが、湯島聖堂に立ち寄った際にはしばし足を止めて、「中庸」について振り返ってみてもいいかもしれません。

学問の聖地として

受験シーズンになると、学問の聖人にあやかろうと湯島聖堂には多くの受験生がお参りに来ます。ここ、杏壇門(きょうだんもん)には、合格祈願の絵馬(願い事を書く、絵の描かれた木札)がつるされています。これから試験にチャレンジする方には是非立ち寄っていただきたい場所です。

江戸時代は幕府だけでは無く、諸藩も藩内の学力向上に力を注いだ時代でした。各藩にはそれぞれの藩校(藩の学校)がありましたし、全国的に寺子屋という初学者用の学校も見られました。湯島聖堂では儒学に焦点が当てられていましたが、実学と言って、理論よりも社会生活に役立つことを大事にした学問も発展します。例えば、蘭学(医学)・本草学(植物学/薬学)や寺子屋における読み書きそろばん(算数)がそうです。

江戸時代の統治者である武士階級でも、戦乱の世が遠のくにつれて、学問の重要度が高まり、一方で武術は次第に実践よりも型や流儀を重んじるものになっていきます。その流れで武術学校=道場が発生するのです。次回の「KANDA」では、神田に残る歴史的な道場についてお伝えしようと思います。

私たち、トランスユーロでは会社の所在地である神田の魅力を世界に発信しています。東京駅から一駅の距離にある神田。たった一駅で全く異なる日本を体験できます。是非お立ち寄り下さい。


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