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2019.10.09

神田

KANDA⑧ 聖橋がつなぐ東と西の聖


駅で言うと神田駅の隣の御茶ノ水駅が最寄り駅になりますが、神田には「聖橋」という橋があります。聖を「ひじり」と読むとき、狭義の日本語では諸国を回遊した仏教僧や、学徳の高い僧を指しますが、「聖」の字そのものの意味は、知徳の優れた完全な人格や、宗教的な神聖性を表現しています。

聖橋は二つの聖を結ぶ橋という意味で命名されました。二つの聖とは両岸に位置する聖堂、「湯島聖堂」と「ニコライ堂」のことです。

聖橋:船から見上げることを想定してデザインされている (Photo by Lover of Romance/ CC BY-SA 3.0)

ニコライ堂-東京で最も有名な聖堂の一つ

湯島聖堂については既にKANDA②で書いていますので、ニコライ堂について少し説明します。中央線や総武線で御茶ノ水駅を通るときに見える、緑青を纏った高さ35メートルのドームの屋根は、この聖堂の名前を知らない人でも見たことがあるはずです。ニコライ堂は通称で、正式には「東京復活大聖堂」という正教会の聖堂です。日本に正教会の教えをもたらしたロシア人修道司祭の聖ニコライに由来しているとのことです。

ニコライ堂は1891年に竣工した、日本で初めてにして最大級の本格的なビザンティン様式の教会建築といわれています。その建築には多くの匿名のロシア人教徒からの献金があったとされます。1923年の関東大震災では大きな損害を受けましたが、国内外の信徒や日本の内務省、そのほかの協力もあり1929年に修繕が終了しました。第二次世界大戦においては空襲による被害を免れましたが、戦後、敷地を大幅に縮小し、現在の規模になっています。1962年には国の重要文化財に指定されています。

 

ニコライ堂:見学もできるそうですが現地での指示を優先してください (Photo by Wiiii/ CC BY-SA 3.0)

橋とは何か? 二つの世界をつなぐもの

バビロンやお隣の中国では紀元前6-5世紀には既に石造りの橋が建築されていたにも関わらず、日本では古来から江戸時代に至るまで、架橋技術の発達が見られませんでした。大陸を横断するような長距離の軍事遠征が行われなかったためか、日本の河川が急流な上に流れも変わりやすいからか、理由は定かではありません。江戸時代に入り、江戸や大坂・京都といった都市では水運を利用していたため多くの橋が存在しましたが、日本全土でみれば、川を渡る手段は人に乗るか、人の引く馬に乗るか、人力の駕籠に乗るか、船で渡してもらうかといった原始的なものでした。

二つの世界を渡るには「媒介するもの」が必要だったのです。日本の伝承では人は亡くなるとあの世に行くために川を渡るのですが、この川にもやはり橋が無いのです。その代わり「渡し守」がいます。さらに日本の物語によると、数少ない日本の橋にはよくお化けが出ました。安倍晴明が式神という使い魔を置いておいたのも橋の下です。

橋もやはり、民俗学的見方をすると、二つの世界の間にある特殊な存在でした。聖橋も東洋の湯島聖堂と西洋のニコライ堂の間にあって、二つの異なる世界を結んでいます。神田に来た際には、ぜひこの東西の聖を結ぶ橋を渡ってみてくださいね。


これまでの神田記事

神田明神
湯島聖堂-江戸時代の学問の中心地
千葉周作の道場 剣術の中心地として
ボーナスは使い切る?北乗物町と江戸っ子
万世橋駅-神田にある営業休止中の駅
⑥江戸の青物市場と神田
⑦美人とは何か?-浮世絵と現代画の比較in神田明神


 

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