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2019.07.17

神田

KANDA⑤万世橋駅-神田にある営業休止中の駅


KANDAの紹介する5つ目の神田の見どころは、「幻の駅」です。現在の神田駅と御茶ノ水駅との間にもう一つ駅があったことをご存じでしょうか?1912年から1943年の約30年の間使われていたこの駅はなぜ作られ、そしてなぜ役目を終えたのでしょうか?

 

万世橋駅 模型(商業施設:エキュートの中にある)

万世橋駅 模型(商業施設:エキュートの中にある)

ドイツの技術と神田の意外な接点

万世橋があるあたりは江戸時代には神田の職人の町として、明治に入ってからは商業地域としてにぎわっていました。人が集まる一帯に鉄道を通したいと思うのは当然です。ところが簡単に想像できるように、繁華街に新たに鉄道を通すのは土地の確保が容易ではないため、なかなか困難です。そこでモデルにしたのが、ドイツ・ベルリンの高架橋の上を走らせた市街線でした。日本は開国以来ドイツをお手本にして多くの技術を取り入れましたが、ここ神田にもドイツの技を取り入れた遺物が残っているのです。関東大震災を経て、その高架橋は今でも中央線の架道橋として活躍しています。

 

現存する高架橋 赤レンガは江戸末期から日本でも生産されていた

現存する高架橋 赤レンガは江戸末期から日本でも生産されていた

現在の万世橋駅

駅舎は東京駅と同じく辰野金吾が設計した、豪華な赤レンガ造りの建物でしたが、残念ながら1923年、関東大震災で焼失します。簡略な駅舎が再建されますが、相次いでほかの路線が開通したことや神田駅・秋葉原駅が徒歩圏内であったこともあり、乗客数が激減し1943年、万世橋駅は「休止(事実上廃止)」となりました。今では、電車から駅があったところを目視するのは難しいのですが、JR東日本のグループ企業が経営する商業施設「エキュート」の一部として当時の面影をしのぶことができます。

 

エキュートの一角に残る当時の階段 階段も壁面のタイルも当時のもの

エキュートの一角に残る当時の階段 階段も壁面のタイルも当時のもの

例えば、1912年からある1912階段、1935年に作られた1935階段は当時のまま残されています。1912階段のほうは石材ですが、1935階段のほうはコンクリートです。階段を上ると、かつて駅のホームだった場所に出ることができます。両側を通過する電車を間近で見られるため、鉄道が好きな方にはお勧めできるスポットです。

 

かつてホームだった場所からの眺め

かつてホームだった場所からの眺め

東京の電車事情

東京(622㎢)には717の駅があります。北海道(83,450㎢)ですら536駅です。これほど小さな地域になぜこれほど多くの鉄道施設が作られたのか。その理由は、江戸がもともと防衛を重視した構造の封建都市で道路が入り組んでいたことと、輸送手段に水路を活用した町で、道路の町ではなかったので、明治政府が鉄道の整備を優先したためと言われています。(https://toyokeizai.net/articles/-/151130)西洋では日本が鎖国している間に馬車交通のため道路が整備されていったので下地があり、自動車交通用の道路の整備も簡単でしたが、馬車時代を経ずに一気に近代化を推し進めた東京は鉄道を選んだようです。

ちなみに東京には64の廃駅(万世橋駅のように今は使われていない駅)がありますので、東京の廃駅探しツアーも面白いかもしれません。

 

 

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