ドイツの美術③ 20世紀初頭から現代へ

ドイツの美術について、中世、近代とお伝えしてきました。今回は20世紀初頭から現代にわたるドイツの美術についてお伝えします。ドイツ美術が、西洋美術史の中で最もスポットライトを浴びるのは、19世紀末から20世紀初頭ではないでしょうか。なかでもドイツを発祥とした表現主義は、その後に起こった様々な芸術運動への影響も多大です。世界大戦という混乱期のドイツ美術には、比類なき激動的な芸術家のパッションがあったようです。

ドイツ表現主義の代表的な画家、フランツ・マルクの作品である『小さな青い馬』(Die kleinen blauen Pferden)
ドイツ表現主義の代表的な画家、フランツ・マルクの作品である『小さな青い馬』(Die kleinen blauen Pferden)

 

激動の20世紀初頭―表現主義とバウハウス

 

19世紀初頭に盛り上がりをみせたロマン主義の時代を経て、19世紀後半に入ると、写実主義や印象主義、そしてドイツ語圏版アール・ヌーヴォーであるユーゲントシュティール様式が主流となり、ユーゲントシュティールの画家たちは、後にベルリン分離派、ウィーン分離派といわれるグループを作り、それまでの伝統的な画壇の慣習を打ち破るべく、新しい芸術界の在り方を模索しました。そして20世紀に入ると、印象主義(Impressionism)に対抗して、ドイツで表現主義(Expressionism)という一大芸術運動が生まれ、ヨーロッパ全土に拡がりをみせます。

表現主義は、印象主義のように、自然風景や人物などの外界を客観的に描き、鑑賞者に対する印象を重視するのではなく、画家である表現者の内面的世界や、主観、感情を描き出しており、いわば「目に見えないもの」をいかに表現するかを基本的姿勢としました。特にドイツで盛んだったこの表現主義は、カンディンスキーやフランツ・マルク、アウグスト・マッケによる青騎士派(Braue Reiter)や、ノルデ、キルヒナー、ココシュカなどで結成された橋(Brücke)という芸術家サークルを生み出し、その後の新即物主義(Neue Sachlichkeit)や、ダダイズムにも影響を与え、ドイツの美術は20世紀に入り前衛芸術の最前線に躍り出ます。

また、工芸、写真、デザインなどの美術と建築に関する学校であったバウハウスも同時代の1919年にワイマールで開校され、合理性と機能性を重視した現代デザインの源流を創造しました。バウハウスのモダンなデザインは、今日に至るまで脈々と息づいており、我々の日常生活の中に、-例えば工業製品のデザインなど―溶け込んでいます。

現代工業デザインの礎を築いたバウハウス
現代工業デザインの礎を築いたバウハウス

ナチスの弾圧、そして戦後のドイツ美術の復興

 

しかし、バウハウスも表現主義の画家たちも、その革新性と伝統への刷新を試みたが故に、ナチスからは「退廃芸術」の烙印を押され、海外へ亡命したり、芸術活動を控えなければいけない画家や、バウハウスに至っては、わずか開校から14年後の1933年に閉校となってしまいました。

ナチスの弾圧によって多くの芸術家が海外に流出した上に、第一次、第二次世界大戦という混乱期を経た戦後のドイツでは、もう一度ゼロから、芸術の意味を再定義するという理念のもとに、「ゼロ」というグループがハインツ・マックとオットー・ピーネによって創設されました。また、5年に1度、ヘッセン州、カッセルで行われる現代芸術の大型グループ展、ドクメンタは、ナチスによって「退廃芸術」として弾圧された前衛的な現代芸術の復興を目指し、1955年から開催されるようになり、今日では世界的な現代芸術展となりました。

三回に渡ってお伝えしたドイツ美術の世界。ドイツの美術について、芸術的感性を揺さぶるものはあったでしょうか?ドイツの歴史と合わせて、美術史を追っていくと、より深くドイツを知る事ができるのではないでしょうか。


参考HP

参考文献

  • 世界美術大系第18巻 ドイツ美術 前川誠郎編 1962年

 

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