ドイツが誇る磁器 マイセン

優秀なドイツ製品。自動車や工具、調理器具や文房具などをこれまでご紹介してきましたが、今回は白磁器で有名なマイセン磁器(Meißner Porzellan)をご紹介します。ドイツ北東部のザクセン州の州都、ドレスデンから北西に約25キロに位置するマイセンという町にある工房で生産されている白磁器は、ヨーロッパ初の硬質磁器として1709年に発明されて以来、世界中で愛されています。

マイセンとは

 

「マイセン」といえば、ザクセン州の街の名前でもありますが、この町にある窯(国立マイセン磁器製作所)及び、ここで生み出されるマイセン磁器を総称するほどに、その名は知れ渡っています。1709年にヨーロッパ初の硬質磁器を生み出したマイセンは、今日までに23万種を超える作品を生み出しており、主に、人形、テーブルウェア、花瓶・ギフト、現代ものに大別されています。原料となる陶土は、工房近くの自社鉱山で採掘されており、職人養成学校も存在します。
度重なる戦禍を逃れた23万種の型は現存しており、300年を超える伝統を受け継ぎつつ、様々な彫刻家、アーティストを迎え、新たなる表現の磁器の絵付けや成型を生み出し続けているのは、マイセンの大きな特徴ともいえます。

1710年から約150年間にわたって磁器工場として使用されていたマイセンのアルブレヒト城
1710年から約150年間にわたって磁器工場として使用されていたマイセンのアルブレヒト城

 

誕生秘話-アウグスト王の白磁器への情熱

 

ヨーロッパ初の硬質磁器の発明。なぜこれは偉業であったのでしょう?当時のヨーロッパでは、まだ磁器の製造方法が確立しておらず、また17世紀は、東洋産の景徳鎮や伊万里焼などの白磁器が大変なブームで、各国こぞって収集し生産を試みた時代でした。

ポーランド王であり、ザクセン選帝侯でもあったアウグスト強王(August der Starke1670-1733)も白磁器に魅了された一人でした。製造方法の発明を企てたアウグスト王は、若き錬金術師ヨハン・フリードリッヒ・ベドガーを幽閉しました。ベドガーは、自然科学者であったチルンハウス伯爵の教えも受けながら、白磁の製造法を日夜研究し、高温で焼き上げるという新しい製法を発明しましたが、アウグスト王は、欧州内での磁器の利益の独占を試みるべく、ベドガーを幽閉して製造法の国外流出を防ぎ、秘密を守るため、マイセンにあるアルブレヒト城を磁器工場として使用しました。城での生産は150年に亘りました。
1717年には皿に文様を付ける染付の技術も確立しましたが、幽閉され続けたベドガーはストレスのため酒に溺れ、37歳で亡くなってしまいました。しかし、その後も絵付師や、彫刻家、様々なアーティストたちが呼び寄せられ、更なる技術向上を図りました。

また一方で、アウグスト王の建設によるドレスデンのツヴィンガー宮殿が1719年に完成し、約二万点にも及ぶ陶磁器コレクションが収蔵されるほど、王の陶磁器への情熱は熱いものでした。
そして、エルベ川の対岸にある日本宮殿(Japanisches Palais)にも、数多の東アジア産の陶磁器コレクションが収蔵されていましたが、これに加えて、アルブレヒト城の磁器工場で特別に作られた古伊万里焼などもコレクションに加えられました。こうしてアウグスト王は、マイセンの生産技術の高さを誇示し、またドレスデンを芸術と文化の中心地としても確立させたのでした。

このような歴史的経緯もあって、今日でもマイセン磁器には、アウグスト強王の紋章である双剣が窯印として手書きで描かれており、これは国内外において商標登録もされているそうです。王の情熱、錬金術師の執念から生まれたマイセン磁器。おうちにひとつ、如何ですか?


参考HP

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