
リンゴ州の都フラウエンフェルト
目次
本ブログではこれまでかなりの数のスイスの名所をご紹介させていただいたほか、様々な内容についてのお話でもそれぞれの地方や州の名前が何らかの形で登場してきましたが、スイス連邦を構成する全26州のうち、1州だけは過去に一度も出てきたことがございません。
これは筆者が意図的に触れるのを避けたり、言及する価値がなかったりした訳ではなく、単なる偶然が生んだ結果ですので、その名前を全く挙げてこなかったことに対してむしろ罪悪感があります。
その州とはスイス北東部に位置し、ボーデン湖(Bodensee)を隔ててドイツおよびオーストリアと国境を接するトゥールガウ州(Kanton Thurgau)です。
当該州は人口と面積が何れも26州中12位で、数値だけを見ればスイスの平均で推移しているものの、州全体において自然がとても豊かで、果実栽培が盛んに行われていることで知られています。
特にリンゴに関しては生産量が常に全国1位を誇ることから、「リンゴ州」(Apfelkanton)とも呼ばれているほどです。
したがって、今回はそんな初登場ながらもスイスを代表する果物産地であるトゥールガウ州の州都を担っているフラウエンフェルト(Frauenfeld)をご紹介させていただきます。
アイトゲノッセンシャフトが共同で管理していた方伯領
ライン川の流入河川であるトゥール川(Thur)の両岸に広がることが名前の由来であるトゥールガウ州は、旧石器時代から居住地として使われていたことが発掘調査で分かっています。
その後の各時代に関しても様々な集落の痕跡が残っているものの、それらは何れも小規模のもので、中心地と呼べる大規模な場所は発見されていません。
この傾向はローマ時代においても同様で、州を横断する街道が整備されたことは確認されていますが、当時のトゥールガウ州は敵対していたゲルマン人の地に隣接する地域だったため、主に防衛が強化された境界域でした。
そして、4世紀にローマ帝国が崩壊するとアレマン人が当該地方を手中に収め、その後順番にブルグント王国、東ゴート王国、ならびにフランク王国の支配領となります。
とはいえ、それらはトゥールガウを自ら管理することは殆どなく、ツェーリンゲン家(Zähringer)やキーブルク家(Kyburger)といった直属の部下を代官として任命していました。
特に後者はトゥールガウを治めるに当たって複数の居城を建て、そのうちのひとつが現在の州都に位置するフラウエンフェルト城でした。
1246年に初めて「フローヴィンフェルト」(Vrowinfelt)の名前で登場するこの城は1230年代頃に築城されたと考えられ、それを囲むように集落が誕生し、短期間で町に発展しました。
とはいえ、キーブルク家はその直後に途絶えたため、ハプスブルク家がトゥールガウの新たな代官職に就きますが、しばらくすると同家は神聖ローマ帝国からの独立を目指して結成されたアイトゲノッセンシャフトと繰り返し衝突することになります。
数々の戦いでハプスブルク家を撤退に追い込んだアイトゲノッセンシャフトは1460年にトゥールガウも制圧し、加盟州が共同で管理する方伯領にしたのです。
以降、フラウエンフェルトが方伯領の政治的中心地となり、城は歴代地頭の公邸として使われます。
また、トゥールガウはアイトゲノッセンシャフト加盟州の共有領地という位置付けだったことから、フラウエンフェルトは1500~1515年に全州会合を行う場所に選ばれ、1712年から1797年の間も頻繁に会合の開催地を担っていました。
しかし、翌1798年にフランスがスイスを征服し、姉妹共和国を設置したことで、トゥールガウは方伯領という立場から解放され、他の加盟州と平等な「州」の地位が与えられたのです。
その際、以前から政治・経済の中心だったフラウエンフェルトをその州都としました。
そして、1803年にアイトゲノッセンシャフトが復活すると、トゥールガウ州はそのままの形で引き継がれ、スイス連邦の正式メンバーとして加わりました。
後期バロック様式に再建された城下町
代官の居城を囲む城下町として13世紀前半に誕生したフラウエンフェルトは、800年近い歴史を持っていますが、1771年および1788年に大火が発生し、町の大半が焼失する被害に遭ったので、現在旧市街と呼ばれている区域は本来の姿を留めておらず、18世紀末に再建されたものです。
また、建て直しを行った当時はまだアイトゲノッセンシャフトの方伯領だったため、各州は旧市街に公使館を設け、それらが復興後の街並みを大きく左右したと言えます。
現存する「ベルンの館」(Bernerhaus)、「ルツェルンの館」(Luzernerhaus)、ならびに「チューリッヒの館」(Zürcherhaus)でも見受けられるように、それぞれは後期バロック様式の外観が目立つ立派な建物を構え、様々な庁舎や郵便局を初め、地元住民もその見た目に合わせるように住宅を建てた影響で、旧市街では全体的にバロック感が溢れているのです。
ただし、町のシンボルとして旧市街の外れにある巨大な岩に聳える「フラウエンフェルト城」(Schloss Frauenfeld)だけは火災の被害を殆ど受けなかったこともあって、中世の雰囲気を色濃く残しています。
19世紀に城壁と城堀に加え、外苑も撤去されたものの、13世紀に建造された本丸とその後に増築された付属建築物は概ね創建当初のままの状態です。
1803年に州政府の管理下に置かれた城は刑務所のほか、財務省の局舎として使われ、個人に売却されて90年近く複合住宅になりましたが、最後のオーナーが城を博物館にすべきと提案し、1955年に再び州の所有物となって以来、州立歴史博物館が入っています。
また、城から南西に位置する場所にかつて職人街だった地区があり、その中にも大火を免れた物件がもう1件建っています。
特徴的なハーフティンバー様式の古民家である当該物件は、1557年にドイツから移住してきた鍛冶師兼宝石細工の工房として建造されたことから、「宝石細工屋」(Baliere)と呼ばれています。
そのような名前が付いているものの、住人とその子孫は代々刀剣や甲冑を作る名工だったことで知られ、それらが16世紀後半に手掛けた甲冑のうちの7点はスイス国立博物館にて大切に保管されているほどの傑作です。
近代以降は市がこの歴史的建造物を譲り受け、1990年代に全体的な改装工事を行い、今は市立ギャラリーとなって様々な展示会を実施しています。

「緑の中に位置する町」
上述の通り、フラウエンフェルトは再建された旧市街を有するとはいえ、部分的に歴史的都市の要素も併せ持っています。
しかし、フラウエンフェルトを最も特徴付けており、最大の魅力なのは何と言っても豊かな自然に囲まれていて、街中のあらゆる所にも緑が多い点です。
市内を散策すると広大な芝生を有する公園がいくつも目に付くだけでなく、一部にはバーベキュー場まで備え付けられています。
さらに、陸上競技場からスケートボードパーク、そしてパンプトラックなど各種運動場も充実しており、城から徒歩で僅か数分の場所には複数の屋内・屋外プールを有する大型のレジャー施設まであるのです。
そればかりか、市街地を一歩離れると、すぐさまリンゴ農園や葡萄畑が点在する草原と丘が目に飛び込んで、見渡す限りの大自然が広がります。
そのため、フラウエンフェルトは自らを「緑の中に位置する町」(Stadt im Grünen)とも呼んでいるのです。
市民としては都会のインフラが整備されていると同時に近場にあらゆる形で自然と触れ合える機会もたくさんあることから高く評価されていますが、観光客にもその良さを知っているもらうための様々な取り組みがあります。
そのひとつが「シティゴルフ」(Stadtgolf)です。
こちらは州庁舎の前、城の敷地、公園、植物園など市内の13カ所に設置されたパターゴルフコースを廻り、歴史や文化施設に加え、市民の憩いの場を巡る体験型アトラクションになっています。
全てのコースは徒歩圏内にあり、ゴルフクラブも非常にお手頃な価格で貸し出しているため、子供から大人まで遊びながら市内観光を楽しめる内容です。
また、ゴルフ以外にもレンタサイクルで市内および市外にある数々のサイクリングロードを走って自然を満喫するのも、フラウエンフェルトで人気のアクティビティとして知られています。
中でも、自転車で行くワイナリー見学と地元のワインを飲んでテラス席で美味しい食事を食べるのはもはや定番のコースと化しており、地域住民の間でも好まれている休日の過ごし方です。

スイスを代表する音楽祭の開催地
そして、フラウエンフェルトを語る上で忘れてはいけないのがスイスを代表する音楽祭の開催地であることです。
特に、毎年7月に3日間開催される「オープンエア・フラウエンフェルト」(Openair Frauenfeld)は収容人数18万人を誇るスイス国内で最も大きな音楽イベントであるだけでなく、ヒップホップ音楽に特化した野外フェスとしてはヨーロッパ最大でもあります。
1987年に自然が豊かなフラウエンフェルトに相応しい「アウト・イン・ザ・グリーン・フェスティバル」(Out in the Green Festival)と言う名前で初めて行われたこのフェスは、ロックンロールおよびジャズ音楽を中心としていましたが、2006年に現在の名前になったと同時に、その内容もヒップホップやラップミュージックへとシフトしました。
以降、出演者の中には普段ワールドツアーでスイスになかなか立ち寄らないアメリカの超大物アーティストが含まれるなど、各国のヒップホップ界をけん引する顔ぶれが集結しました。
したがって、スイスのみならず、国外からわざわざこのイベントに参加する観客も多く、ヨーロッパ中で注目度が非常に高いです。
また、オープンエアほどの規模はないものの、フラウエンフェルトは「ジェネレーションズ」(Generations)と呼ばれる国際的なジャズフェスティバルの開催地でもあります。
2年おきに1週間にわたって実施されるこちらの音楽祭は、今後ジャズ界を担う国内外の有能な若手音楽家にステージを提供すると共に、それらを積極的に支援・育成する目的で1998年に初めて行われました。
ジェネレーションズでは市内に点在する複数の場所で日中は若手がライブを行い、夕方以降はそれらが著名なアーティストと世代を超えたセッションをしたり、ビッグバンドによるコンサートが披露されたりします。
さらに、開催期間中は街中のクラブがライブハウスとなって、様々な出演者の音楽を間近で聴く機会が設けられますので、ジャズファンが多い中高年層だけでなく、若者からも大いに支持されているイベントです。

トゥールガウ州の州都フラウエンフェルトに関するご説明は如何でしたか?
都会の特徴を有するにもかかわらず、緑が多くて自然が豊かなのは住民にとってはもちろんのこと、観光やレジャーなどに訪れる方から見ても非常に魅力的であると言えます。
また、地理的にチューリッヒ(Zürich)とサンクト・ガレン(St. Gallen)のほぼ中間に位置し、スイスのメジャーな都市からのアクセスも便利なことから、通勤・通学がしやすいベッドタウンである一方、他州からのんびりとしたひと時を過ごしに来る人が多いです。
特定の目的がなくても、地元で採れたリンゴのジュースやワインは全国的に有名なので、それだけのために現地に行く価値が十分あります。
したがって、皆様もスイスをご訪問される際にお時間があれば是非フラウエンフェルトを初め、トゥールガウに足を運んでみることをご検討ください。
では
Bis zum nöchschte mal!
Birewegge
今回の対訳用語集
日本語 | 標準ドイツ語 | スイスドイツ語 |
果実栽培 | Obstanbau
(オープストアンバウ) |
Obschtaabau
(オプシュトアーバウ) |
公使館 | Gesandtschaftsgebäude
(ゲアントシャフツゲボイデ) |
Gsandtschaftshuus
(クサントシャフツフース) |
外苑 | äußerer Garten
(オイセラー・ガーテン) |
üssere Garte
(ユッセレ・ガルテ) |
ハーフティンバーの家 | Fachwerkhaus
(ファッハヴェアークハウス) |
Rigelhuus
(リゲルフース) |
甲冑 | Rüstung
(リュストゥング) |
Rüschtig
(リュシュティク) |
レンタサイクル | Mietfahrrad
(ミートファーラート) |
Miätvelo
(ミエトヴェロ) |
音楽祭 | Musikfest
(ムズィークフェスト) |
Musigfäscht
(ムスィグフェシュト) |
アーティスト | Artist
(アーティスト) |
Artischt
(アルティシュト) |
注目 | Aufmerksamkeit
(アウフメアークサムカイト) |
Ufmerksamkeit
(ウフメルクサムカイト) |
規模 | Ausmaß
(アウスマース) |
Uusmaas
(ウースマース) |
参考ホームページ
フラウエンフェルト市オフィシャルサイト
https://www.frauenfeld.ch
トゥールガウ州観光庁オフィシャルサイト:フラウエンフェルト市
https://thurgau-bodensee.ch/de/stories/frauenfeld.html
フラウエンフェルト地方協会オフィシャルサイト
https://www.regiofrauenfeld.ch/regio/region/gemeinden/
スイス歴史辞典:フラウエンフェルト市
https://hls-dhs-dss.ch/de/articles/001898/2021-01-15/
スイス歴史辞典:トゥールガウ州
https://hls-dhs-dss.ch/de/articles/007393/2017-05-22/

スイス生まれスイス育ち。チューリッヒ大学卒業後、日本を訪れた際に心を打たれ、日本に移住。趣味は観光地巡りとグルメツアー。好きな食べ物はラーメンとスイーツ。「ちょっと知りたいスイス」のブログを担当することになり、スイスの魅力をお伝えできればと思っておりますので皆様のご感想やご意見などをいただければ嬉しいです。
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