スイスの伝統競技
目次
気温もかなり下がってきて猛暑が続いた夏もようやく終わり、季節はすっかり秋になりましたね?
秋と言えば、少し前に食欲の秋に相応しい内容をご紹介させていただきましたが、先月は「スポーツの日」もあって、全国の運動会などでスポーツの秋をご堪能された方も多いと思います。
また、今年は世界陸上が34年ぶりに東京で開催されたなど皆様のスポーツへの関心が普段よりも高まっていたのではないでしょうか?
そこで、本ブログでも久しぶりにスポーツの話題を取り上げようと考えた次第です。
しかし、過去の記事で既に五輪競技など知名度が比較的高いスポーツに散々触れてきたので、今回は逆にマイナーであまり注目されていないものに焦点を当てることにしました。
というのも、スイスにはその特有の風土により、数百年にわたって大切に育まれてきた競技がいくつも存在するものの、国外でそれらを知る機会が殆どないのが現状です。
したがって、そんな長い歴史を誇り、今やスイスの欠かせない文化になっていると言っても過言ではないスポーツに関する知識を広めるためにも、今回は「スイスの伝統競技」についてのお話をさせていただきます。

ファーネンシュヴィンゲン
スイスの伝統競技には様々なものがありますが、中でも代表的なのは「ファーネンシュヴィンゲン」(Fahnenschwingen)であると言えます。
直訳すると「旗振り」という意味合いを持っているこの競技はその名の通り、旗を振ったり投げたりして、技の完成度や見栄えの良さを競う、技術力と芸術性を融合したスポーツです。
名前だけで判断すれば、ドイツやオーストリアの一部地域に全く同じ名前を用いた風習が存在するだけでなく、イタリアおよびサンマリノにも「旗振り」に該当する「ズバンディエラトーレ」(Sbandieratore)と呼ばれる競技があります。
さらに、日本を始め、世界各地のパレードやお祭りなどでマーチングバンドにおいて頻繁に目撃し、個別の大会も行われる「カラーガード」(Color Guard)もまた旗を振るパフォーマンスに重点を置いたスポーツとして知られていることから、競技化した「旗振り」はスイス以外にも多数確認されているのです。
しかし、それぞれの歴史を詳しく調べると、スイスだけ起源と発展が大きく異なり、競技の内容にも根本的な差異があることに気付きます。
例えば、カラーガードという名称からも分かるように、大半の国や地域での旗振りは元々軍隊を先導したり戦場で味方に位置を知らせたりする「旗衛兵」や「旗手」に由来するのに対し、スイスではアルプスの牧人が自ら犯した罪への償いを示すために旗を振ったのが、ファーネンシュヴィンゲンの始まりとするのが通説です。
そのため、現在各国で見られる旗振りでは軍事的要素が多く、競技者が移動(行進)するのが一般的である一方、スイスのファーネンシュヴィンゲンに関しては移動が原則禁止で、競技においては直径60センチメートルの円内で演技を行う必要があり、旗を投げてキャッチする際に円内を歩く、もしくは円の外に出てしまうと減点の対象になります。
また、旗振りは通常団体競技で、フォーメーションならびに各メンバーの動作の同時性も評価される一方、ファーネンシュヴィンゲンは基本的に個人競技です。
種目としては2人一組によるデュエットも存在し、その場合は動きの同一性と同時性が問われますが、互いに旗を投げ合う「旗交換」の出来栄えが最も重要視されます。
そして、スイスのファーネンシュヴィンゲンでは衣装、道具、演技の全てにおいて細かい規定が設けられているのが、他の国の旗振りとの最大の違いです。
まず、競技者の服装はスイスの伝統的な民族衣装と決まっており、競技で使用する旗も120×120センチメートルの絹製または人造絹糸製のスイス国旗または州旗でなければなりません。
さらに、3分間で披露する演技に関しても、古来より伝わる90種類以上の振り技と投げ技を組み合わせる必要があります。
したがって、カラーガードなどと比較すると、ファーネンシュヴィンゲンでは表現の自由がかなり制限されていて、むしろ伝統的な作法を重んじる傾向が見受けられるのです。
その影響もあってか、ファーネンシュヴィンゲンはヨーデルとアルプホルンと共にスイスの民芸を管轄する団体である「スイスヨーデル連盟」(Eidgenössischer Jodlerverband)に属し、大会やパフォーマンスも、主に当該連盟が主催するイベントや他の民芸が登場する民族祭の一環として実施されます。

クロスボウ射撃
次にご紹介させていただく伝統競技もまた、決してスイスで生まれたものではないものの、スイス建国の英雄であるヴィルヘルム・テル(Wilhelm Tell)との深い関連性もあって、スイスの象徴とされることが少なくない「クロスボウ射撃」(Armbrustschiessen)です。
既にご存知の方も多いと思いますが、クロスボウとは専用の矢を板ばねの力で弦により発射する弓の一種を指します。
同じ系譜の武器としては古代中国の「弩(ど)」に加え、古代ギリシャの「ガストラフェテース」(Gastraphetes)、さらにローマ帝国の「アルクバリスタ」(arcuballista)が知られており、その歴史は数千年を超えているのです。
クロスボウは一般的な弓と違って、サイズが小さく、留め具と引き金が付いているため、矢を発射するまでの間に弦を自身の手で引っ張らなくてもいいのが最大の利点です。
また、矢に関しても従来の木製矢から次第に尖った金属ボルトへと変わって鎧を貫通するほどの威力を持ったことで、中世以降はヨーロッパ各国の軍隊で戦局を大きく左右する強力な遠距離武器になりました。
したがって、スイスにおいても14世紀から都市部で戦争用に大量のクロスボウを装備したり、住民にクロスボウの保有を義務付けたりして、定期的に射撃訓練を実施した他、射撃大会で腕を競う習慣が定着したのです。
また、クロスボウの名手には公務員の地位が与えられ、クロスボウ射手から構成される部隊の指揮官として戦争に参加することも一般的でした。
その後、鉄砲の普及によって戦争におけるクロスボウの使用が徐々に衰退しましたが、趣味や狩猟目的では引き続き愛用されていました。
そして、19世紀に入るとドイツの詩人フリードリヒ・シラー(Friedrich Schiller)による戯曲「ヴィルヘルム・テル」の初演をきっかけに、スイスで再びクロスボウブームが巻き起こり、クロスボウ射撃が国民的スポーツへと発展することになったのです。
その反響を受けて、1898年に世界初のクロスボウ競技団体である「スイスクロスボウ射手連盟」(Eidgenössischer Armbrustschützenverband)が設立されただけでなく、1956年には当該連盟が主体となって、スイスに本部を置く「国際クロスボウ射撃連合」(IAU)も誕生しました。
したがって、現在国際大会が行われている種目には、室内10メートル立て射ちおよび屋外30メートル立て射ち・膝射ちを含む「マッチクロスボウ」(Match Crossbow)と、屋外65・50・35メートル立て射ちや室内18メートル立て射ちから成る「フィールドクロスボウ」(Field Crossbow)があり、前者のマッチクロスボウは主にスイスの伝統的な射撃訓練法に由来します。

ヴァッサーファーレン
続いて皆様に知っていただきたいスイスの伝統競技は、「海無し国」としてはちょっと珍しい水上で行う「ヴァッサーファーレン」(Wasserfahren)です。
「水上航走」を意味するこの競技は「ヴァイドリング」(Weidling)と呼ばれる長さ10メートルと重量約350キロのフラットボートを使い、立ったまま手漕ぎで決められたルートを移動するスポーツを指します。
見た目や雰囲気で言えば日本の古典的な渡し船やヴェネチアのゴンドラに似ていますが、大会においては川の一定区間内に不規則に設置されたゲートを通過したり、ブイを回り込んだりしてゴールするまでのタイムを競うことから、カヌー競技のスラロームに近いです。
ただし、航走する際は川の流れに沿って下流に移動するための櫂(かい)と、流れに逆らって川底を蹴りながら上流に向かうための二股槍を使い分けている点で大きく異なります。
また、起源についてもヴァッサーファーレンは他の競技とは全く別の、中世におけるスイスの生活環境と深く関係しているルーツを持っているのです。
ライン川(Rhein)を始め、都市間を結ぶ多くの水域を有するスイスでは、古くから木材流送などの水運が盛んでした。
そのため、1200年頃には河川や湖における輸送に関連する法令に加え、それらを請け負う専門職が既に存在していたことが当時の文献から分かっています。
さらに、14世紀に入ると大きな川に面したスイスの主要都市で船乗りギルドや漁師ギルドが次々と誕生し、それらの間で互いの腕を競う技能大会も行われました。
これがヴァッサーファーレンの始まりとされています。
しかし、19世紀以降に鉄道が普及し、水運が徐々に陸送へとシフトしたため、船乗りが激減してしまったのです。
一方、産業革命による工業化に伴い都市の人口が大幅に増加したことで、水難事故も著しく増え、対策として、以前から河川に関する知識が豊富だった船乗りや漁師に水上の安全を守るという新たな使命を与えてチューリッヒ(Zürich)、ベルン(Bern)、バーゼル(Basel)などの都市で水上救助隊が編成されました。
そして、これらの水上救助隊は技術力と身体能力の向上、さらに若手の育成のために、現在スイスで競技として知られているヴァッサーファーレンを創ったのです。
したがって、19世紀後半にはスイスの5つの州で計32のヴァッサーファーレンクラブが誕生した他、今日その管轄を担う「スイスヴァッサーファーレン連盟」(Schweizer Wasserfahrverband)の前身である2つの連盟も設立されました。
現在、連盟が毎年数回主催する大会では、年齢別の7つのクラスでそれぞれ競技者1人による「単独航走」(Einzelfahren)と2人一組で行う「ペア航走」(Paarfahren)の2種目が実施されます。
それ以外にも大会における正式種目としては採用されていないものの、船にベンチを取り付けてガレー船のように漕手4人と舵手1人、または漕手8~10人と舵手2人で速さを競う「押し漕ぎ航走」(Schlagruderfahren)も存在します。

さて、今回は日本では知ることがなかなか難しいスイスの伝統競技をいくつかご紹介させていただきましたが、どのような印象を受けましたか?
ご紹介した内容はいずれも一定の年齢層の間で最近ポピュラーになった競技ではなく、スイスの古い生活様式の中で生まれ、時代と共に形を変えながら発展してきたもので、一種のスポーツである以前に文化であると言えます。
したがって、普段スポーツにあまり関心がない方にも、スイスの伝統的な文化としてそれらにご興味を持っていただければ嬉しいです。
また、スイスには上記で取り上げたファーネンシュヴィンゲン、クロスボウ射撃、ならびにヴァッサーファーレン以外にも色々な伝統競技が存在しますので、リクエスト等をいただければ、それらを今後本ブログでご紹介させていただきます。
では
Bis zum nöchschte mal!
Birewegge
今回の対訳用語集
| 日本語 | 標準ドイツ語 | スイスドイツ語 |
| 秋 | Herbst
(ヘアープスト) |
Herbscht
(ヘルプシュト) |
| 運動会 | Sportfest
(シュポアートフェスト) |
Schportfäscht
(シュポルトフェシュト) |
| 陸上 | Leichtathletik
(ライヒトアトレーティク) |
Liächtathletik
(リエフトアトレーティク) |
| 見栄え | Aussehen
(アウスセーエン) |
Uussäh
(ウースセー) |
| 先導する | führen
(フューレン) |
füere
(フュエレ) |
| 円 | Kreis
(クライス) |
Chreis
(フライス) |
| 演技 | Darstellung
(ダーシュテルング) |
Darschtellig
(ダルシュテリク) |
| 弓 | Bogen
(ボーゲン) |
Boge
(ボゲ) |
| 櫂(かい) | Ruder
(ルーダー) |
Rueder
(ルエデル) |
| 使命 | Aufgabe
(アウフガーベ) |
Uufgaab
(ウーフガーブ) |
参考ホームページ
スイスヨーデル連盟オフィシャルサイト
EJV: Eidgenössischer Jodlerverband
北西スイスファーネンシュヴィンゲン選手連合会:歴史
https://www.fahnenschwingen-nwsjv.ch/geschichte/
スイスクロスボウ射手連盟オフィシャルサイト
スイス歴史辞典:クロスボウ
スイスヴァッサーファーレン連盟オフィシャル
Wasserfahren – Naturnahes Handwerk und Sport fürs Leben – SWV

スイス生まれスイス育ち。チューリッヒ大学卒業後、日本を訪れた際に心を打たれ、日本に移住。趣味は観光地巡りとグルメツアー。好きな食べ物はラーメンとスイーツ。「ちょっと知りたいスイス」のブログを担当することになり、スイスの魅力をお伝えできればと思っておりますので皆様のご感想やご意見などをいただければ嬉しいです。

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