国名と国旗の原点である町シュヴィーツ

今まで何度かにわたり、スイスの名所をご紹介させていただきましたが、それらは何れもスイスを代表する、言わば定番の都市ばかりでした。しかし、観光ツアーにまず含まれることがなく、ガイドブックに掲載されることも稀でありながら、実は他のどの都市よりもスイスを代表する場所が存在します。それがシュヴィーツなのです。スイスを訪れたことのある方であってもその名前を聞いたことがないという人が多いことでしょう。したがって、今回はそのシュヴィーツについてのお話をさせていただきます。

アイトゲノッセンシャフト原三州のひとつ

 

シュヴィーツは同名のシュヴィーツ州(Kanton Schwyz)の州都で、スイスの中央にあるルツェルンよりやや東に位置する人口約1万5000人の小さな町です。シュヴィーツの周辺には古くから人間が生活していた痕跡が残っていますが、複数の民族が一時的に居住していたに過ぎないため、シュヴィーツの起源については現在も不明な点が多いです。ローマ帝国時代に入ってからも通過点として利用されていたことは確認されていますが、集落が建っていたことを裏付けるものは一切確認されていません。したがって、シュヴィーツを最初に開拓したのは、7世紀頃にその地域で暮らしていたアレマン人であると言われています。「シュヴィーツ」の名が記載されている最古の文書は970年のもので、ハプスブルク家が法的権限を有している農村であったことを語っています。神聖ローマ帝国の支配下に置かれていたシュヴィーツの人々は度々傭兵として駆り出される身でしたが、戦場では常に最前線で戦い、数々の勝利に貢献したことから、その功績をたたえる証として1240年に帝国直轄領とされます。これによって法的自治権が与えられ、ハプスブルク家もその支配権を失うことになるのですが、同家はそれを無視し、シュヴィーツを強引に支配し続けます。それが引き金となり、シュヴィーツは1291年に隣国であるウーリ(Uri)とウンターヴァルデン(Unterwalden)と共に永久同盟を結んで、1309年および1315年の戦いでハプスブルク家に勝利して独立することになります。その後は大きな変化や改革を迎えることなく、常にアイトゲノッセンシャフトの先駆者として重要な役割を果たしてきました。

 

シュヴィーツの市庁舎 (壁画は帝国直轄領の通知書受領からハプスブルク家からの独立までの歴史を表しています)
シュヴィーツの市庁舎(壁画は帝国直轄領の通知書受領からハプスブルク家からの独立までの歴史を表しています)

ブンデスブリーフの保管場所

 

シュヴィーツはその北側に聳えるミューテン山(Mythen)を除けば、史跡や名勝などの観光資源がほとんどない小さな田舎町です。さらに、チューリッヒ(Zürich)やバーゼル(Basel)など他の都市では近代化にいち早く対応し、インフラ整備が進み、徐々に商業都市として発展した中、シュヴィーツでは現在も市内に牛が放牧されている姿を見ることができるなど、農村のような雰囲気が漂います。そんな魅力に欠けるシュヴィーツと思われがちですが、実はスイス連邦にとって極めて重大な役割を果たしています。というのもシュヴィーツはアイトゲノッセンシャフトに関するブンデスブリーフ(Bundesbriefe)の保管場所なのです。ブンデスブリーフは「同盟誓約書」という意味で、1291年にリュトリ盟約によって結ばれた原三州の永久同盟を始め、1513年までにアイトゲノッセンシャフトに加盟した州との間で結ばれた各同盟の誓約書の総称です。そして、シュヴィーツは16世紀以降、スイス連邦の原点およびスイス人のアイデンティティとも言えるそれらの重大な資料の保存と管理を任されており、専用の資料館であるブンデスブリーフ博物館(Bundesbriefmuseum)に収蔵しています。

 

ブンデスブリーフ博物館
ブンデスブリーフ博物館

 

スイスの国名は「シュヴィーツ」に由来する

 

シュヴィーツはブンデスブリーフを保管する原三州のひとつとして現在のスイス連邦の原点だけでなく、なんと「スイス」という国名の原点でもあるのです。日本語表記ではその関連性すら見えてこないのですが、実はスイスドイツ語で「スイス」は「シュヴィーツ」と言います。「えっ?そんなことあるの?」とびっくりした方もいるでしょうが、これは本当のことで、スイスドイツ語で「シュヴィーツ」は「シュヴィーツ州」、「シュヴィーツ市」ならびに「スイス」を指す同音異義語となっています。しかも、18世紀まではその綴りまで同一だったのですが、誤解を招くことを避けるため、現在は州と市を「Schwyz」と表記し、国を「Schwiiz」と書いて区別するのが一般的です。シュヴィーツがスイスの国名として定着した理由については諸説ありますが、原三州の中でリーダー格の地位を占めていたシュヴィーツはその後も国外でアイトゲノッセンシャフトを代表する際に自身の州名を使用していたと言われています。当然ながら、他の州はそれを承認していた訳ではないのですが、そのような経緯があったことからハプスブルク家やその他の貴族達はアイトゲノッセンに対する侮辱用語として「シュヴィーツァー」(シュヴィーツ人)を使用するようになったそうです。それ以来、シュヴィーツ以外の州もそれらの貴族をわざと怒らせるために、自らを「シュヴィーツァー」と名乗り始めたとされています。

スイスの国旗の起源となったのもシュヴィーツ

 

そして忘れてはならないのがスイスの国旗です。皆様もあの赤色の背景に白い十字架が描かれているスイスの国旗を良くご存知だと思いますが、実はその基となったのもシュヴィーツなのです。シュヴィーツは以前から「血」を表す赤色の旗を自身の紋章として使用していましたが、帝国直轄領に指定された際に皇帝から神聖性の象徴である十字架を使用する許可を受けたのです。この点に関しては現在のデンマークの国旗やウィーン市の紋章も同様ですが、それぞれの十字架の形状やサイズに関する規定はなかったので、シュヴィーツは元から使用していた赤い旗の上部の角寄りに小さな白い十字架を入れるようにしました。その後、アイトゲノッセンシャフトはハプスブルク家との戦いを繰り返してきたのですが、それぞれの州は自身の紋章と各自で準備した武器や鎧を用いていたことから、アイトゲノッセンシャフト軍と敵軍との見分けが付かないという問題が度々発生したようです。そこで、アイトゲノッセンは共通のシンボルとして紋章、防具、武器などに布製の白い十字架を貼ることにしたのです。また、スイス人は傭兵として諸外国でも度々雇われており、その際も必ず白い十字架をシンボルマークにしていましたが、旗の背景色に関しては赤以外の色も使用されることがあったそうです。背景色が異なるとやはり統一性に欠けると判断したスイス連邦総会は1839年にスイスの国旗を赤色の背景に白い十字架であると正式に決定しました。十字架のサイズや形状についてはその後も度々議論が交わされ、2017年1月1日にも最新の法改正が行われたほどです。内容は以前とほぼ変わりませんが、スイスの国旗が真四角で、赤い背景の中心部に白い十字架であることが改めて詳細に定められました。

シュヴィーツ州の紋章
シュヴィーツ州の紋章

シュヴィーツに関するご紹介は如何でしたか?ご説明させていただいたように、日本人には意外と知らない町でありながらも色々な意味でスイスを代表する重要な場所であることをご理解いただけたのではないでしょうか?観光地としては少々物足りないかもしれませんが、スイスの起源についてより詳しく知りたい人であればシュヴィーツは欠かせません。また、自然が豊かな地域で、山の女王とも呼ばれるリギ山(Rigi)を初め、ハイキングには打って付けのコースもたくさんありますので、ルツェルンなどを訪れて時間にも余裕がある際は遠足を楽しむ序でに是非シュヴィーツにも立ち寄ってみては如何でしょう?

では

Bis zum nöchschte mal!

Birewegge


今回の対訳用語集

 

日本語 標準ドイツ語 スイスドイツ語
原点 Ursprung

(ウアーシュプルング)

Uurschprung

(ウールシュプルング)

引き金 Auslöser

(アウスレーサー)

Uuslöser

(ウースレーセル)

近代化 Modernisierung

(モデアニズィールング)

Modernisiärig

(モデルニスィエリク)

Kuh

(クー)

Chuä

(フエ)

保管場所 Aufbewahrungsort

(アウフベヴァ―ルングスオアト)

Uufbewahrigsort

(ウーフベヴァ―リクスオルト)

綴り Schreibweise

(シュライプヴァイゼ)

Schriibwiis

(シュリープヴィース)

リーダー Anführer

(アンフューラー)

Aafüerer

(アーフュエレル)

紋章 Wappen

(ヴァッペン)

Wappe

(ヴァッペ)

十字架 Kreuz

(クロイツ)

Chrüz

(フリューツ)

スイス国旗 Schweizerflagge

(シュヴァイツァーフラッゲ)

Schwiizerfahne

(シュヴィーツェルファーネ)


参考ホームページ

 

Comments

(0 Comments)

メールアドレスが公開されることはありません。