ミヒャエル・エンデの世界  

児童文学といえば、量、質ともにイギリスの作品が優れていると言われていますが、20世紀に入り、質の高い児童文学がドイツでも次々と生まれました。日本でもドイツの児童文学は数多く翻訳されています。なかでも根強い人気なのは、ミヒャエル・エンデ。代表作となる作品は多く、『モモ』の日本での出版部数はドイツに次いで多い150万部以上ともいわれ、子供だけでなく、大人からも愛され続けている作品のひとつです。

ところで、独特の思想で形成されているエンデの世界観は、日本文化からの影響も受けているのはご存じですか?

『モモ』 エンデ自身によって挿絵も描かれている
『モモ』 エンデ自身によって挿絵も描かれている

『モモ』、『はてしない物語』、『ジム・ボタンの機関車大旅行』

 

ミヒャエル・エンデ(1929~1995)は、ドイツ・バイエルン州、ガルミッシュパルテンキルヒ生まれ、児童文学作家として世界中で知られています。彼の児童文学作家としてのキャリアは、1960年に発表された『ジム・ボタンの機関車大旅行』に始まり、この作品でドイツ児童文学賞を受賞、1973年に出版の『モモ』で、2回目のドイツ児童文学賞を受賞し、エーリヒ・ケストナーと並ぶドイツの児童文学作家となりました。

彼の生涯をざっと追うだけでも、冒険に満ち溢れているのが印象的です。

画家のエドガー・エンデを父にもち、、第二次世界大戦中は召集令状を拒否して逃亡、反ナチス運動に参加しました。シュタイナー学校で学び、さらに演劇学校で演劇を学んだのち、戯曲、詩、小説の創作活動に励みます。妻で女優のインゲボルグ・ホフマンと15年間イタリアで暮らし、彼女の死後は再びドイツに戻りました。4年後に『はてしない物語』の日本語訳者、佐藤真理子氏と再婚、そして65歳の時に胃がんのためこの世を去りました。

ミヒャエル・エンデ 
ミヒャエル・エンデ 

エンデと日本

 

長野県信濃町にある黒姫童話館は、世界の童話をテーマとした博物館ですが、ここには2000点以上のエンデの作品資料が本人の手により寄贈され、常設展示されています。ドイツの博物館ではなく、なぜ日本の博物館に?これはひとえに、エンデが日本と深い繋がりを持っているためなのです。

エンデの世界観は、ゲーテやシラー、ノヴァーリスなどのドイツ古典文学はもちろんのこと、シュタイナー、カバラ、荘子といった様々な思想や文化、哲学から影響を受けていると言われています。さらに日本文化からの影響も大きく、幼少時代から、ギリシア生まれの日本研究者・日本民俗学者小泉八雲(パトリック・ラフカディオ・ハーン)を愛読しており、日本への憧れを持っていました。そして、禅、弓道、歌舞伎、能といった日本文化をたしなみ、深く理解しようと試みており、来日の際にも禅宗の老師との対談を行ったり、歌舞伎座・能楽座へも訪れ、その経験はエンデの作品にも影響を及ぼしています。たとえば、『モモ』の作中でのベッポとモモの会話には、禅の思想を反映している部分もあります。また、1985年には、バイエルンの方言を用いた演劇『ゴッゴローリ伝説』を発表していますが、エンデ自身は、この作品は歌舞伎の要素を、バイエルン地方の方言をもって作り上げたと述べています。エンデは、日本語という、ドイツ語とは全く違った言語と文字をもつ日本に対して、独自の視点のを見出していたようです。

さらに、エンデの思想の根底には、自然科学的思考や物質主義的な現代社会への批判が見られ、未来への危機を“文明砂漠”と読んで、作中の中でも警鐘を鳴らしています。

1995年にこの世を去ったエンデの世界観は今日の人々の心にも、響くと思います。ミヒャエル・エンデの世界に一度飛び込んでみませんか?


参考HP

参考文献

  • 子安美知子 『エンデと語る 作品・半生・世界観』 朝日選書 1986
  • ミヒャエル・エンデ/河邑厚徳 編著 『NHKアインシュタインロマン 第六巻 エンデの文明砂漠』 日本放送出版協会 1991
  • 重松宗育 『モモも禅を語る』 筑摩書房 1991

 

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