ドイツ再統一30周年 東西ドイツの今日

第二次世界大戦後、東西に分断されたドイツが再統一(Wiedervereinigung)されてから、今年2020年10月3日で30年を迎えます。

米ソ冷戦の象徴でもあったベルリンの壁の崩壊、そしてドイツの再統一は、ドイツの歴史上のみならず、世界史にも大きな1ページを刻みました。しかし、その後の道のりは決して平たんではありませんでした。例えば、経済格差はクローズアップされてきた問題の一つです。

再統一から30年、東西ドイツの間にある格差は解消されたのでしょうか。これからのドイツはどのように変容していくのでしょうか。

東西分断時代の地図 黄色が東ドイツ、青が西ドイツ
東西分断時代の地図 黄色が東ドイツ、青が西ドイツ

40年間に渡る分断国家、28年間立ちはだかったベルリンの壁

 

第二次世界大戦後、敗戦国として米ソ英仏の分割統治・非武装化・非ナチ化政策を受けたドイツでは、米ソ対立が極まる中、1949年には、西ドイツである「ドイツ連邦共和国」と(Bundesrepublik Deutschland)と東ドイツである「ドイツ民主共和国」(Deutsche Demokratische Republik)という二つの国家が誕生しました。4ヵ国による分割統治がされていたベルリンも、米英仏が占領する西ベルリンと、ソ連が占領する東ベルリンに分断されました。

その後、西ドイツは、1955年に米英仏の統治から独立し、主権回復を果たしましたが、東西ドイツの経済的格差が広がる中で、東ドイツから西側への人口流出は止まらず、これに対する対策として、東ドイツ政府は、1961年8月13日、一夜にして西ベルリンとの間の交通を有刺鉄線で遮断し、その後、外周165kmにも及ぶコンクリートの壁を建設しました。この壁がベルリンの壁です。壁を乗り越えようとすれば逮捕、狙撃兵により射殺される場合もあり、非人道的行為が行われていましたが、それでも脱走を試みる市民は多かったのです。

国境線であったベルリンの壁の東側に位置していた今日のブランデンブルク門
国境線であったベルリンの壁の東側に位置していた今日のブランデンブルク門

再統一後、そして現在

 

1989年のベルリンの壁崩壊からおよそ11か月後の1990年10月3日、東西ドイツは再統一を果たしました。再統一後の生活に希望を膨らませた旧東ドイツ市民たちでしたが、実情は明るくなく、再統一後から2005年まで失業率は上昇が続き、経済的格差が縮まるのにも時間を要し、新しい社会制度に戸惑うことも多かったということです。2005年には20%にも上った旧東ドイツの失業率は、2018年には7.6%まで下がりましたが、所得格差は依然として課題であり、旧東ドイツ地域の生産性向上が目指されています。

また近年では、2015年にドイツへ大量流入した移民に対する不満も相まって、旧東ドイツ地域での右傾化も顕著で、東西ドイツの間にある溝は、現在でも姿を変えて存在しているようです。2019年の政府の調査では、東西ドイツの統一が成功したと考える人々は38%という結果がでており、再統一に対してネガティブな感情を持つ人々は、今日でも存在しているようです。

2020年10月3日は建国30周年という大きな節目を迎える、記念すべき「ドイツ統一の日」(Tag der Deutschen Einheit)です。ポツダムでは約一か月間にも渡り、EinheitsEXPOと称して、新型コロナ対策をとりつつも、コンサートや野外展示などが催されているようです。いまやヨーロッパを牽引する大国へと復興を遂げたドイツ。東西の軋轢の根本的な解消と、さらなる発展を期待したいところです。


参考HP 

 

参考文献

 

  • 森井裕一編『ドイツの歴史を知るための50章』 明石書店 2016

 

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