スイスのイタリア語圏最大の都市ルガーノ

 

スイスのイタリア語圏が、面積や人口に関して全体に対して占める割合は1割にも満たないのですが、過去の記事で何度か取り上げただけあって、様々な意味において独特で珍しい文化を持っています。

直近のブログで、建築や国境事情といった角度からそういった側面に言及しましたので、スイスのイタリア語圏が、全体に対してほんの一部に過ぎないにも拘らず、意外と魅力的な内容が多いことをご理解いただけたのではないでしょうか?

とはいえ、スイスの名所に関しては何年も前にベッリンツォーナ(Bellinzona)をご紹介して以来、イタリア語圏の名所は一切登場していませんので、久しぶりにスイス南部に位置し、独自の文化圏を形成している当該地方に焦点を当てたいと思います。

という訳で、今回はティチーノ州(Canton TicinoまたはKanton Tessin)最大の都市であり、スイス国内でも有数の金融都市として知られるルガーノ(Lugano)について、色々とお話させていただきます。

 

 

 

コモとミラノが数百年も所有権を争った元州都

 

スイスとイタリアの国境に跨るルガーノ湖(Lago di Lugano)の中央両岸に広がるルガーノ市には、新石器時代からケルト人部族のレポンティ(Lepontii)が居住する、複数の集落が点在していたことが分かっています。

その後、湖の周辺は徐々にローマ帝国の支配領となり、遅くとも紀元前1世紀にはローマ人がその北岸に重要な中心都市を築いていました。

しかし、ローマ帝国が崩壊すると、ルガーノとその一帯は、順番に東ゴート王国、ビザンツ帝国、およびランゴバルド王国が治め、主にアルプスの峠を封鎖して防衛線を張るための守備隊が駐屯する場所でした。

したがって、考古学の研究でも、当該地域が6世紀までは定住地として殆ど利用されていなかったことが裏付けられています。

ところが、9世紀に入ると様々な文献に現在の地名の由来となった「ルアナスコ」(Luanasco)ならびに「ルアーノ」(Luano)といった名称が度々登場し始め、重要な通商路が交差する市場町があったとの記録が残っているのです。

その背景には、ルガーノを含むアルプス以南の地域が、当時購入もしくは簒奪によって、コモ(Como)の司教が所有権を主張する領土になったことが挙げられます。

この事実は、1055年に神聖ローマ帝国の皇帝であるハインリッヒ3世(Heinrich III.)が、その地方におけるコモ司教の権限を認める証書を発行した他、直後にルガーノ市民がコモ司教の支配から逃れようと、何度も独立運動を引き起こしたことからも明らかです。

同時に、ミラノ(Milano)の貴族もアルプス越えの通商路を手中に収めるためにコモ司教と対立し、その結果として、ルガーノは数百年にわたる両者の絶えない領土争いに巻き込まれました。

そんな先行きが不透明な状況に終止符を打ったのが、1513年にアルプスの南側を征服して一時はミラノまでも管理下に置いたアイトゲノッセンシャフトでした。

アイトゲノッセンシャフトは、ルガーノを含むイタリア語圏に複数の代官所を設置して「臣民の地域」(Untertanengebiet)として支配したものの、それらに多くの自由と自治権を保証しただけでなく、保護もしていたことから、約300年もの間、争いのない平和な時代をもたらしたのです。

とはいえ、1798年にフランスがスイスに衛星国家を設立したことで、この支配関係は廃止され、独立したルガーノは隣接する3つの旧代官所と共に「ルガーノ州」(Cantone di LuganoまたはKanton Lugano)を結成することになりました。

その際、ルガーノは当該州の州都を担っていましたが、この体制も僅か5年足らずで崩壊し、最終的にイタリア語圏のほぼ全ての市町村を統合してティチーノ州が新たに誕生したのです。

また、当初は複数の都市が交代で6年間州都を務めるローテーション制が採用されており、1827~1833年、1845~1851年、そして1863~1869年の計3回にルガーノがティチーノ州政府の所在地でした。

しかし、1878年にベッリンツォーナを固定の州都にすることが決まったため、ルガーノは政治的機能を殆ど失い、金融都市および学園都市として発展しました。

 

イタリアの中世感漂う教会建築が多く残る旧市街

 

このように、ルガーノは1200年以上もの歴史を有する都市ですが、今日ルガーノ市と呼ばれている場所は過去数十年に行われた複数の市町村合併によって大きく変わったことに注意しなくてはなりません。

というのも、ルガーノは元々現在の旧市街を構成する6区域のみを指していました。

しかし、1972年に隣接する2つの自治体と合併した他、2004年に計8つ、そして2008年に3つの市町村が加わり、さらに2013年にも7つの自治体が新たにルガーノに統合されたのです。

その結果、市の面積は4倍に拡大し、人口も3倍以上増えたので、ルガーノは今やティチーノ州最大の自治体であるだけでなく、スイス全国でも7番目に大きな都市になっています。

また、それに伴い、独自の発展を遂げた町や村のみならず、いくつもの山間部と湖畔エリアも新たに編入されたことによって、ルガーノ市は歴史的都市から様々な顔を持つバラエティー豊かな広域生活圏へと変容しました。

したがって、ルガーノは一番古くて本来の街並みが残っている旧市街が位置する「チェントロ」(Centro)と称される中央地区と、それを囲むように近年新たに加わったその他の地区に分けられます。

中央地区は上述の通り、長きにわたってコモ司教の荘園としてその影響を強く受けていたこともあって、重要な宗教的中心地でした。

そのため、旧市街にはイタリアの中世建築様式を取り入れた宗教関連の建造物が数多く点在します。

中でも代表的なのが、818年に既に存在していたことが確認されており、1078年に司教座教会となった「サン・ロレンツォ大聖堂」(Cattedrale di San Lorenzo)です。

ロマネスク様式に建てられたこの大聖堂は、13世紀にゴシック様式に拡張され、1517年にルネッサンス期の傑作と称される装飾が施された巨大な正面壁が追加されました。

そして、そのすぐ近くには13世紀前半に創建され、1633~1652年に新造された「サンタントニオ・アバーテ教会」(Chiesa di Sant’Antonio Abate)や、以前から建っていた教会を16世紀後半に改築した「サン・ロッコ教会」(Chiesa di San Rocco)があります。

前者に関しては、17~18世紀に活躍した複数の地元芸術家が外壁と内装を手掛けた、豪華な装飾が施されている一方、後者は内部のほぼ全面が、画家ティントレット(描かれた実に見事な壁画と天井画が印象的です。

他にも、1230年に設立された、修道院を建て替えてできた新古典主義の「サンタ・マリア・イマコラータ教会」(Chiesa di Santa Maria Immacolata)、そしてバロック様式の華やかな玄関が目を引く「サン・カルロ・ボロメオ教会」(Chiesa di San Carlo Borromeo)などが徒歩圏内に位置しますが、忘れてはいけないのが、1499年創建の「サンタ・マリア・デッリ・アンジョリ教会」(Chiesa di Santa Maria degli Angioli)です。

元々フランチェスコ派の修道院に付随していたこの後期ロマネスク様式の教会には、あのレオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci)の弟子だったベルナルディーノ・ルイーニ(Bernardino Luini)が描いた複数のフレスコ画があります。

それらは16世紀前半に完成した当該画家最後の作品にして最高傑作と謳われることから、スイスにあるルネッサンス期のフレスコ画としては最も有名です。

 

サン・ロレンツォ大聖堂(写真:Alexey M.、CC BY-SA 4.0

 

旧市街を彩る数々の宮殿

 

ルガーノの中央地区を散策すると、宗教建築以外にも目を引く、もうひとつの建造物群があります。

それは教会と同様に、町中に点在する数々の宮殿です。

これらに関してもルガーノの歴史と深い関係があり、町の過去を物語るシンボル的存在であると言えます。

というのも、コモ司教がルガーノを荘園にしていた時代には、イタリアからの移住者も少なくありませんでした。

その中には貿易を営むためにルガーノに移り住んだリヴァ一族(Familie Riva)もいました。

同家は商業で財を成し、1513年にルガーノがアイトゲノッセンシャフトの管理下に置かれてからは、主に不動産業を行いながら市政、軍隊、ならびに教会にも、役職や資金提供で関与していた豪族となったのです。

こうした背景から、現在、旧市街にはリヴァ一族が18世紀前半に建てた「リヴァ宮殿」(Palazzo Riva)と呼ばれる3つの館が残っています。

特に、マッスィミリアーノ・マガッティ通り(Via Massimigliano Magatti)のリヴァ宮殿は、ティチーノ州を代表する後期バロック様式の建築物です。

また、そのすぐ近くにあるリフォルマ広場(Piazza della Riforma)には「市民宮殿」(Palazzo Civico)と称される長方形の巨大で優雅な古典主義建造物が建っています。

こちらに関しては、1346年に創建されたコモ司教の宮殿を取り壊して1840年代に新築したもので、1845~1851年、および1863~1869 年に、ルガーノが州都だった際に州政府が入っていた他、ホテルとしても使われ、1890年以降は市庁舎になっているのです。

内外に施されている彫刻やフレスコは、何れも地元の職人達が手掛けた作品で、建物全体がティチーノ州を象徴する芸術遺産といっても過言ではありません。

そして、忘れてはいけないのが、63,000平方メートルの広大な敷地を誇る湖畔沿いの市民公園内に佇むパッラーディオ様式の「チャーニ邸」(Villa Ciani)です。

1517年にアイトゲノッセンシャフトによって破壊されたミラノ公爵の居城の跡地に建てられた、八角形の望楼を有するこの3階建ての豪邸は、元々ティチーノ州出身のチャーニ兄弟の住居でしたが、1912年にルガーノ市がその所有権を購入して、歴史博物館および美術館になりました。

現在は式場、展示場、会議室などに利用される多目的施設となっているものの、チャーニ兄弟が依頼して作らせた各部屋の華やかなフレスコに加え、美術館だった頃の絵画や彫刻も多数残っているため、外観だけでなく、内装までもが豪華な歴史的建造物です。

他にも、折衷的な装飾が有名な「プリマヴェースィ宮殿」(Palazzo Primavesi)や、ネオバロック様式とアール・デコを融合した「ガルガンティーニ宮殿」(Palazzi Gargantini)、さらにネオルネッサンス建築の「アルハンブラ宮殿」(Palazzina Alhambra)など、旧市街のあらゆる所に「宮殿」の名前が付く建物が存在します。

 

「市民宮殿」の名で知られるルガーノの市庁舎(写真:Mat Distef、CC BY-NC-ND 2.0

 

絵本に出てきそうなカラフルで美しい漁村「ガンドリア」

 

さて、これまで中央地区に関するご説明ばかりでしたが、既に申し上げた通り、ルガーノ市は過去数十年で複数の山間部と湖畔エリアが新たに編入された広域生活圏となりましたので、他にも魅力的な場所がたくさんあります。

そのひとつが市の最東端に位置し、イタリアと国境を接する人口約300人の小さな漁村である「ガンドリア」(Gandria)です。

2004年の市町村合併でルガーノ市に加わり、現在はその一区となっているガンドリアは、まるで時間が止まっていたかのように、数百年間にわたって姿を殆ど変えていないことで知られており、その風情漂う街並みは絵本に出てきそうな印象を与えると謳われています。

14世紀前半に山の麓で湖からせり上がっていく急な斜面に沿って造られたガンドリア村は、古くから漁業と農業を主産業として営み、19世紀以降は養蚕業が盛んでした。

そんな背景もあって、湖からガンドリアを見た際、小さな漁船を浮かべた舟屋に加え、無花果、オリーブ、ならびにレモンの木に囲まれたカラフルな建物が階段状に立ち並んで、まるで絵画のような風景を織りなします。

また、街中は狭い石畳の路地や坂道が入り組んでおり、自動車の通行が禁止されているため、スイスで最も大きな自治体のひとつであるルガーノ市の一部に属することが信じられないほど、のどかでロマンティックな雰囲気が溢れています。

そのため、ガンドリアはティチーノ州で一番美しい場所であると言われていると同時に、スイスの文化庁が指定する「全国的に重要な保護すべきスイスの景観に関する連邦目録」(Bundesinventar der schützenswerten Ortsbilder von nationaler Bedeutung der Schweiz)にも登録されているのです。

さらに、現在は市バスも通っているものの、以前は船または徒歩でしかガンドリアにアクセスできなかったので、観光客の間では今でも定期船やハイキングコースを辿って、一昔前の村民の暮らしを想像しながら訪れるのが定番となっています。

 

ガンドリア村(写真:Urs Gehrig、CC BY-NC-SA 2.0

 

圧巻の景色が有名な山々

 

上述の通り、ルガーノの大半は湖に面しているだけでなく、山間部も多く有していることから、ハイキングやトレッキングを始め、ロッククライミングやパラグライダーといったマウンテンススポーツが楽しめる場所としても人気です。

特に、中央地区からほど近い、高さ912mの「サン・サルヴァトーレ山」(Monte San Salvatore)に加え、ガンドリア村の北側に聳える標高925mの「ブレ山(Monte Brè)」は、その特徴的な形状と、頂上から広範囲を一望できることから、年間を通して多くの登山客で賑わっています。

また、どちらの山にも100年以上の歴史を誇るケーブルカーが存在し、アクティビティが苦手で、山頂からの絶景だけを堪能したい方でも簡単に訪れることが可能です。

視界が良好な晴天日にはベルン・アルプス(Berner Alpen)とヴァレー・アルプス(Walliser Alpen)の名峰までもが見えて、スイスで最も美しい眺めのひとつが広がります。

そして、ルガーノの山を語る上で忘れてはいけないのが、同市の南西端に位置し、イタリアとスイスの国境に跨る高さ1320mの「スィギニョーラ山」(Sighignola)です。

市内にある他の山と同様に、アルプスの山としては標高がやや低めですが、スィギニョーラ山の頂上からは、なんとスイスの最高峰で、ヨーロッパで2番目に高い「デュフールシュピッツェ」(Dufourspitze)を有する「モンテ・ローザ」(Monte Rosa)が眺めることができます。

さらに、山頂の展望テラスは国境付近にあるものの、完全にイタリア側に属するので、イタリアの地に立っていながらスイスの景色を見渡せるとのことで「イタリアのバルコニー」(Balcone d’Italia)とも呼ばれているのです。

したがって、スィギニョーラ山では絶景はもちろんのこと、日本の皆様からすれば非常に珍しい越境体験も味わえるのが最大の醍醐味と言えます。

 

圧巻な眺めを楽しめることで知られるルガーノ市の名山: ブレ山(手前)、サン・サルヴァトーレ山(中央の対岸)、スィギニョーラ山(左端) 

 

以上がティチーノ州最大の都市ルガーノに関するご説明になります。

スイスのイタリア語圏でありながら、以前ご紹介したベッリンツォーナとは印象が大きく異なるだけでなく、スイス全国でも類を見ない独自の雰囲気を有する都市であることが伝わりましたか?

また、歴史的背景からも窺えますが、地理的にイタリアと国境を接するだけあって、言葉はもちろんのこと、住民の性格から気候までにおけるあらゆる点においてイタリア色が強く、異国感が溢れている場所です。

そのため、ルガーノはスイス人にとって普段とは違う気分が味わえる国内の南国リゾートのような存在で、季節を問わず大勢の人が好んで訪れています。

そんな理由から、外国人観光客はルガーノに対して「あまりスイスらしくない」とのイメージを抱いていることも少なくないです。

とはいえ、むしろそれはスイスが持つ数ある顔のひとつに過ぎないという理解が正しいので、皆様にはそんな誰かの常識にとらわれず、スイスの別の一面に触れられる期待感と好奇心で、ルガーノをご訪問されることをお勧めします。

では

Bis zum nöchschte mal!

Birewegge


今回の対訳用語集

日本語 標準ドイツ語 スイスドイツ語
駐屯する stationieren

(シュタツィオニーレン)

schtazioniäre

(シュタツィオニエレ)

証書 Urkunde

(ウアークンデ)

Urkund

(ウールクント)

広域生活圏 Großraum

(グロースラウム)

Grossruum

(グロースルーム)

囲む umgeben

(ウムゲーベン)

umgäh

(ウムゲー)

不動産業 Immobiliengewerbe

(インモビーリエンゲヴェアーべ)

Immobiliegwerb

(インモビーリエクヴェルプ)

式場 Festsaal

(フェストサール)

Fäschtsaal

(フェシュトサール)

施設 Einrichtung

(アインリヒトゥング)

Iirichtig

(イーリフティク)

養蚕 Seidenzucht

(サイデンツフト)

Sidezucht

(スィデツフト)

南西 Südwesten

(スュートヴェステン)

Südweschte

(スュートヴェシュテ)

醍醐味 wahrer Genuss

(ヴァーラー・ゲヌス)

wahre Gnuss

(ヴァーレ・クヌス)

 

参考ホームページ

ルガーノ市オフィシャルサイト

https://www.lugano.ch

ティチーノ州観光庁オフィシャルサイト:ルガーノ

https://www.ticino.ch/de/discover/destinations/lugano.html

ルガーノ観光局オフィシャルサイト

https://www.luganoregion.com

スイス歴史辞典:ルガーノ市

https://hls-dhs-dss.ch/articles/002177/2022-12-22/

 

 

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