3つの古城を持つ要塞都市ベッリンツォーナ

 

スイスにイタリア語圏があることについては過去の記事でも触れてきましたが、皆様の中にはスイスとイタリア語が何となくしっくりこないという方もいるのではないでしょうか?

そもそもイタリア語圏はスイスのほんの小さな一部に過ぎませんし、歴史や文化の観点からも他の地域と大きく異なるのですが、スイスを語る上では決して忘れてはならない地方なのです。

むしろ、その独自性からスイス人の間でも非常に人気が高く、別の意味でスイスを代表すると言っても過言ではありません。したがって、今回はイタリア語が唯一の公用語として使用されているティチーノ州(Canton TicinoまたはKanton Tessin)の州都であるベッリンツォーナ(Bellinzona)をご紹介したいと思います。

 

 

 

様々な国と地域の支配下に置かれていた要衝

 

アルプス山脈の南麓に位置するベッリンツォーナ「サンクト・ゴットハルト」(St. Gotthard)、「ルクマニアー」(Lukmanier)、「ヌフェネン」(Nufenen)および「サン・ベルナルディーノ」(San Bernardinoの4峠に通じる街道が合流する地点に近いため、古くから交通と貿易の要衝として重要な役割を担ってきました。

したがって、紀元前5000年の新石器時代には既に集落があったことが知られており、その後の各時代においてもそれぞれの文明の痕跡が残っています。

そして、その地理的価値に目を付けて大規模な開拓を行ったのがローマ帝国でした。

彼らは丘の上に要塞を築き、それを囲むように住宅地を形成したと言われています。

ローマ帝国が崩壊してからはランゴバルド人の侵略によって当該地域がミラノ(Milano)を首都とするランゴバルド王国の一部となります。

8世紀にはそれに代わってイタリアの大部分を征服したフランク王国に併合され、11世紀以降は度々コモ(Como)の司教管区やミラノ公国の統治下に置かれました。

さらに、1498年にフランス王のルイ12世(Louis XII.)がミラノにおける支配権を主張したことで今度はなんとフランス王国に渡ります。

このように、ベッリンツォーナは様々な国の支配下に置かれたものの、事実上1000年近く代々ミラノの権力者の管理下にあった重要な軍事拠点だったのです。

とはいえ、15世紀にアルプス以南への領土拡張を試みて、ミラノへの侵略にまで乗り出したアイトゲノッセンと和平交渉を進める一環として、フランス王国は1516年にベッリンツォーナをウーリ(Uri)、シュヴィーツ(Schwyz)、およびニトヴァルデン(Nidwalden)の3州に譲り渡すことで合意します。

その後280年余、当該3州がベッリンツォーナを「臣民の地域」(Untertanengebiet)として直接管理しますが、最終的にフランス革命が掲げる平等性の基、1798年にアイトゲノッセンによる支配から解放され、3州の直轄領だったイタリア語圏一帯はイタリアかスイスのいずれかの一部になるよう選択を迫られたのです

その際に住民が出した答えが現在も名言として語り継がれる「自由かつスイス人でありたい」(liberi e svizzeriだったことから、1803年にティチーノ州が結成され、ベッリンツォーナがその州都になりました。

 

世界文化遺産にも登録されている3つの城

 

今回のタイトルにも出ているように、ベッリンツォーナの最大の魅力で町のシンボルでもあるのが3つの古城です。

同じ場所に城が3つも存在するだけでも珍しいのですが、その全てが中世後期に完成した状態で今日も現存する点でも極めて貴重だと言えます。

また、それらは歴史的にもアルプス地方における城塞都市を代表していることから、国の重要な文化財に指定されているだけでなく、2000年にユネスコの文化遺産にも登録されました。

3つの中で規模が最も大きく、町の中心部の丘に建っているのが「グランデ城」(Castelgrande)です。

築城されたのはローマ時代の紀元前1世紀とされていますが、度重なる増改築を経て現在の形になったのは15世紀のことです。

建設された本来の目的は防衛のためとはいえ、それぞれの支配者によって宮殿ならびに市民の避難場所として使用され、近世以降は武器庫や刑事施設にもなっていました。

しかし、現在は考古学と歴史博物館になっており、レストランなども入っています。

残りの2つの城は町の中心部の東端に位置する突出した山の支脈の中腹に聳える「モンテベッロ城」(Castello di Montebello)とその頂上にあるサッソ・コルバーロ城」(Castello di Sasso Corbaro)です。

前者に関してはコモの豪族であったルスカ家(Familie Rusca)が12世紀後半に建てたものですが、こちらも後に増改築されたため、今日の形状になったのは15世紀後半になってからです。

「グランデ城」と同様に、数世紀にわたって宮殿や駐屯地として利用されていましたが、今は市立考古学博物館の展示室として利用されています。

また、後者の「サッソ・コルバーロ城」については、13世紀には既に監視塔が存在しており、それを1479年に建て替えてできた城です。

主にアイトゲノッセンの警備隊が駐在するために使われ、その後はティチーノ州が管理し、1998年まではその一部に州立美術館が入っていましたが、現在はイベントなどのためのレンタルスペースとなっています。

 

モンテベッロ城(手前)とサッソ・コルバーロ城(右上)

 

 

中世ヨーロッパの城郭建築の傑作「ムラータ」

 

ベッリンツォーナで3つの古城以外にもひと際目立っているのが、旧市街のあちこちで目撃する大きな壁です。

これは主に「グランデ城」の北側に位置し、東西に延びているため、その城壁と思われがちですが、実は城とは無関係に建てられた防壁の一部なのです。

また、防壁は中世以降に発展したヨーロッパの多くの町に存在し、現存するものも少なくないことから、さほど珍しくもないと言えます。

しかし、ベッリンツォーナに関しては、その防壁が中世ヨーロッパの城郭建築の傑作として古城と共に世界遺産に含まれている点が他の都市と大きく違います。

その理由は、同年代の中でも類を見ない機能性と美的外観を融合した出来栄えにあります。

ベッリンツォーナには元々町全体を囲む城郭がありましたが、アイトゲノッセンによる侵略を恐れた当時のミラノ公は城郭の一部を大幅に強化してそれらを足止めしようと考えました。

その結果、1422年に南北への交通を完全に封鎖する防壁「ムラータ」(Murata)が町の北部に誕生したのです。

最終的にアイトゲノッセンはベッリンツォーナを和平条約によって手中に収めることになりますが、それらが力尽くでムラータを突破することは不可能だったと言われています。

後に洪水によって約4分の1が決壊し、近世以降は交通の利便性を考慮して一部が撤去された影響でムラータは所々寸断されているものの、その存在感には現在も圧倒されます。

さらに、ムラータの内部は一般公開されており、壁の上から町を見渡したり、地下通路を歩いたりして当時の城郭建築の凄さを自分の目と肌で体験できるのも魅力的です。

 

ムラータ(一部)

 

イタリアの雰囲気が漂う旧市街

 

ローマ帝国に続き、長きにわたってミラノやコモの支配者がベッリンツォーナを治めていたこともあり、旧市街の大部分にはイタリアのような街並みが見受けられます。

住民が喋っている言語や標識が全てイタリア語になっている影響でより一層そのように感じてしまいますが、建物を見れば雰囲気がスイスの他の地方とは明らかに違うことに気付きます。

赤レンガの屋根に茶色や赤みを帯びた壁の民家とあらゆる場所で目撃するヤシの木は、正に南国を連想させます。

そして、旧市街に入って大半の方が最初に目にするのが大理石の外壁を有するルネッサンス様式の「聖ピエトロおよびステファノ参事会教会」(Chiesa collegiata die Santi Pieto e Stefanoとその向かいのテラス席でエスプレッソを飲みながら楽しい一時を過ごす住民です。

さらに、毎週土曜日にはその通り沿いに地元の農家や職人が屋台を出店する朝市まで開催され、地域で採れた果物や野菜、チーズ、アクセサリーなどの特産品が並び、まるで北イタリアの町を訪れたかのような気分になります。

また、そこから石畳の道をしばらく進むと市庁舎(Municipio)が建っている広場に出ますが、その高い塔や「ロッジア」(Loggia)と呼ばれるアーチ型の回廊は中世のイタリアにおける市庁舎で最も多く用いられた典型的な建築様式です。

しかも、この市庁舎には中庭があって、3階構造の各階に同様な回廊が設けられており、スイスのドイツ語圏ではまず見ることのできない独特で印象的な作りになっています。

 

ベッリンツォーナの市庁舎

 

ティチーノ州の州都ベッリンツォーナに関するご紹介はどうでしたか?

大半のパックツアーではつい外されてしまうことが多いのですが、世界遺産の都市であり、スイスの一部でありながらもイタリアの文化が色濃く残っているため、一度は必ず訪問してみたい方も少なくはないと思います。

実際のところ、町の規模はさほど大きくはないことから、行かれるのであれば、ベッリンツォーナだけではなく、ティチーノ州の複数の名所もついでに観光することをお勧めします。

スイスのイタリア語圏には他にも面白い場所が多数ございますので、史跡やレジャーなどご自身のご興味に合った旅行を計画して、アクセントとしてベッリンツォーナを加えて中世にタイムスリップしたかのような気分を味わってみては如何ですか?

では

Bis zum nöchschte mal!

Birewegge

 


今回の対訳用語集

日本語 標準ドイツ語 スイスドイツ語
イタリア Italien

(イターリエン)

Italie

(イターリエ)

合流する zusammenfließen

(ツサンメンフリーッセン)

zämäflüsse

(ツェメフリューッセ)

石器時代 Steinzeit

(シュタインツァイト)

Schteiziit

(シュタイツィート)

臣民 Untertanen

(ウンターターネン)

Untertane

(ウンテルターネ)

避難場所 Zufluchtsort

(ツーフルフツオアート)

Zuefluchtsort

(ツエフルフツオルト)

展示室 Ausstellungsraum

(アウスシュテルングスラウム)

Uusschtelligsruum

(ウースシュテリクスルーム)

封鎖する blockieren

(ブロッキーレン)

blockiäre

(ブロッキエレ)

力尽くで gewaltsam

(ゲヴァルトサーム)

gwaltsam

(クヴァルトサーム)

決壊する einstürzen

(アインシュトュルツェン)

iischtürze

(イーシュトュルツェ)

標識 Markierung

(マーキールング)

Markiärig

(マルキエリク)

 


参考ホームページ

ベッリンツォーナ市オフィシャルサイト

https://www.bellinzona.ch

ティチーノ州観光庁オフィシャルサイト:ベッリンツォーナ

http://www.ticino.ch/de/discover/destinations/bellinzona.html#

ベッリンツォーナ及びアルト・ティチーノ観光オフィシャルサイト

http://www.bellinzonese-altoticino.ch/de/

スイス歴史辞典:ベッリンツォーナ市

https://hls-dhs-dss.ch/de/articles/002031/2017-04-05/

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