スイス建国ゆかりの地アルトドルフ

 

もう何年も前になりますが、本ブログで「リュトリ盟約から始まったスイスの建国スイス建国の英雄ヴィルヘルム・テルの記事を掲載したことを覚えていらっしゃいますでしょうか?

それらの記事でご紹介した内容は、スイスが700年以上も前に神聖ローマ帝国からの独立を果たして自治領となった際の出来事を物語っています。

しかし、それらは長い間口頭でのみ伝承されてきたことから、今となってはどこまでが本当で、どの部分が作り話なのかが不明な状況です。

とはいえ、その舞台となったそれぞれの場所は実在しており、スイスの歴史を探る上で重要な史跡として季節を問わず多くの観光客を惹き付けています。

しかも、史跡が位置する周辺には壮大なアルプスの山々をはじめ、殆ど手付かずの自然が現在も多くの残っており、歴史的事実とは別に、スイスの原始的な風景を見ながら数百年前にタイムスリップしたかのような気分を味わえることでも人気です。

という訳で、今回はそんなスイス誕生の地であり、「原初スイス」(Urschweiz)の異名を持つウーリ州(Kanton Uri)の州都であるアルトドルフ(Altdorf)をご紹介いたします。

 

 

スイス連邦の結成メンバー

 

中央スイスのやや南東、ロイス川(Reuss)の河谷に位置するウーリ州は山岳地帯が多く、肥沃の土地が限られていることから、居住地としての利用がいつ頃から本格化したかについては殆ど分かっていません。

発掘調査では青銅器時代の痕跡がいくつか発見されているものの、当時の実態を正確に把握するには不十分なのが現状です。

同様に、ローマ時代に関してもローマ帝国がアルプス以北を征服した際に当該地方を管理下に置いたことまでは確認されていますが、具体的な内容を記した資料や出土品がほぼ存在しません。

そのため、ウーリ州における大体の状況が掴めているのは、7世紀以降にフランク王国の支配領となってからです。

フランク王国が当時作成した記録によると、その部族であるアレマン人が現在のウーリ州に当たる地域へと移住し、それまで散在していた小さな集落の密集化や開拓が進んで複数の町が誕生したとされています。

その内のひとつが州北部にあって、後に州都となったアルトドルフでした。

そして、853年に東フランク王のルードヴィヒ2世(Ludwig II.)がウーリ州をチューリッヒ(Zürich)のフラウミュンスター修道院(Kloster Fraumünster)に遺贈したことで、チューリッヒの代官が当該地域における支配権を握ることになりました。

元々は様々な貴族が代官を務めていましたが、それら全てが途絶えたため、その役職が最終的にハプスブルク家に渡ることになったのです。

しかし、その直後に神聖ローマ皇帝のハインリヒ7世(Heinrich VII.)がウーリ州を帝国直轄領にし、住民の自治権を認めました。

この出来事をきっかけにハプスブルク家の支配権は事実上消滅しますが、土地の所有権は引き続き修道院が持っていたことから、無効にはなりませんでした。

この複雑な状況下でウーリの民はハプスブルク家の影響力拡大に歯止めを掛けると同時に、帝国から保証された自由と自治権を維持するために隣接する地域のシュヴィーツ(Schwyz)、ならびにウンターヴァルデン(Unterwalden)と永久的な盟約同盟を結び、スイス連邦の原型となるアイトゲノッセンシャフトを結成します。

以降、ウーリ州はアイトゲノッセンシャフトの中枢メンバーとして独立運動や各種同盟の締結に加え、領土拡張政策にも積極的に参加し、その際に征服して19世紀初頭まで臣民の地域」(Untertanengebiet)とされていたイタリア語圏の監督役まで任されるほどでした。

 

ヴィルヘルム・テルに纏わる伝説の舞台となった町

 

ウーリ州の州都であるアルトドルフは古くから同州の政治的中心だった他、特にアルプス縦断の北玄関口を担う宿場町として栄えました。

しかし、19世紀後半に「ゴットハルトトンネル」(Gotthardtunnel)の完成を機にアルプスの縦断が短時間で可能になったことから、物流など山越えに関連する様々な地場産業が徐々に衰退し始めたのです。

さらに、2016年に全長57キロを誇る世界最長の鉄道トンネルである「ゴットハルトベーストンネル」(Gotthard-Basistunnel)が開通したことで、宿場町としての機能は完全になくなり、現在は人口1万人程度の小さな田舎町になっています。

そのため、アルトドルフはガイドブックなどに掲載されるほどの観光地ではないものの、スイス人にとっては建国ゆかりの地であり、国史における重要な場所のひとつです。

というのも、アルトドルフの中心部に位置する市庁舎広場(Rathausplatz)は、後にスイスの建国に繋がった出来事の舞台とされています。

その出来事とは15世紀以降にスイスの様々な記録に登場し、ドイツを代表する作家フリードリヒ・シラー(Friedrich Schiller)が当該記録を基に1804年に書いた戯曲で世界的に有名になったヴィルヘルム・テル」(Wilhelm Tell)に関するものです。

伝承によれば、テルは当地を管理していた代官への敬意を示すことを拒否し、自身の息子の頭上に置いたリンゴを、100歩離れた場所からクロスボウで射抜かなければならないという罰を受けました。

リンゴを見事一発で当てることに成功するも、誤って息子を射っていたらその場で代官を殺すために用意していた2本目の矢が仇となり、テルは最終的に反逆罪で捕らえられます。

しかし、テルが最後まで代官に服従せず、己の生き様を貫く不屈の精神はその場に居合わせた目撃者をはじめ、彼の噂を耳にした多くの人々を勇気付け、反乱を起こして独立運動に乗り出す引き金となりました。

そして、この一連の出来事が行われたのが上述の通り、アルトドルフの中央にある市庁舎広場でした。

この広場の真ん中には当時大きなシナノキがあって、テルが例のリンゴを射抜く際には息子がその木に寄り掛かっていたと言われていますが、1567年に朽木となって伐採されてからは同じ場所に「ベスラー噴水」(Besslerbrunnen)が建っています。

また、噴水のすぐ隣には13世紀半ばに建造されたテュルムリ」Türmliと呼ばれる小塔もあります。

元々貴族の住居だったこの建物は、1517年に高さ18メートル弱の時計台兼監視塔に改造され、市民の生活に関わる役割を果たしていたことから、アルトドルフを代表するランドマークとして親しまれるようになりました。

そして、アルトドルフを訪れる行商人や旅行者などにも市の歴史的価値をアピールするため、1694年にヴィルヘルム・テルの伝説を描いた壁画が塔の側面に施され、さらに1895年にはテルとその息子の銅像も追加されました。

 

アルトドルフの市庁舎広場に建っているテュルムリとテル記念碑

 

500年以上の歴史を誇る世界的演劇発祥の地

 

このように、アルトドルフは建国の英雄ヴィルヘルム・テルの故郷であることを全面的に発信していますが、その事実を伝える手段としては史跡や記念碑だけでなく、なんと表現芸術も採用されています。

この点において全国的に有名なのが、市庁舎広場から狭い路地を東に向かったところにあるテル芝居小屋」(Tellspielhaus)です。

1899年創業で、1925年に当時の公民館だった建物を改増築して現在の場所に移設された当施設は、主にフリードリヒ・シラー作の戯曲「ヴィルヘルム・テル」を上演するための劇場として設立されました。

しかし、1999年に芝居小屋の運営団体が経営難に陥ったことから、劇場の所有権が市に移り、以降は名称を「劇場ウーリ」(Theater Uri)に改名して別の民間団体にその運営を委託しています。

そのため、今ではアルトドルフを代表する由緒ある演劇場が、音楽ライブからお笑いまでの幅広いイベントに活用されている文化施設になっている一方、長い伝統を誇るヴィルヘルム・テルの舞台も受け継がれ、数年に一度の頻度で披露しています。

しかも、2024年に行われた最新のテル芝居では、上演前に地元の幼稚園児と小学生が創立125周年を記念して作詞・作曲された、「テルの歌」(Tell-Lied)を合唱するというコンテンツまで追加されましたので、本場ならではのアレンジが加えられており、舞台内容を既にご存知の人であっても新たな楽しみ方を堪能できるように工夫を凝らしているのです。

今日アルトドルフで一般公開されている建国の英雄ヴィルヘルム・テルに関する演劇は、この劇場ウーリのものが唯一ですが、学校演劇などそれ以外の舞台を含めば、他にも市内の様々な場所で定期的に上演されています。

というのも、当地でテルを題材にした芝居は数百年を超える歴史があり、遅くとも1512年には「テルに纏わるウーリの演劇」(Urner Spiel vom Tell)というタイトルの脚本が存在していたことが分かっているのです。

この脚本はテルの伝説を記述した現存する最古の文献として後に誕生した数々のテル関連作品の基になっているので、アルトドルフは昨年東京の新国立劇場でも上演されたジョアキーノ・ロッシーニ(Gioachino Rossini)作曲のオペラを初め、今や世界各地で披露されているテル演劇発祥の地でもあります。

 

旧テル芝居小屋で知られる「劇場ウーリ」(写真:ponte1112、CC BY-NC-SA 2.0

 

年間を通して多彩なアクティビティが楽しめるレジャーリゾート

 

これまでの説明からしてアルトドルフは、全体的にスイス連邦の起源に着目した町であるとの印象を受ける方も少なくはないでしょう。

しかし、正確に言うとそれはアルトドルフが持っている一面に過ぎず、州都だけあって独自の雰囲気が漂う旧市街に加え、古典美術から現代アートまで様々な分野に特化した美術館や、歴史的な教会建築が多数あり、スイスの建国に関心がない人でも楽しめる内容が揃っています。

また、ウーリ州はアルプスの北玄関口としてその壮大な自然が織りなす景観が最大の魅力であると言っても過言ではありません。

そして、州北部の比較的平坦な地に位置するアルトドルフも例外ではなく、スイスらしさが溢れる高山と湖に囲まれた場所です。

そればかりか、アルトドルフ市の面積の半分近くは「エッグベルゲ」(Eggberge)と呼ばれる標高約1500メートルの山々が占めており、市街地とは景色が打って変わるアルプスの名峰を背景に周辺一帯を一望できる牧草地や山林が広がる高原地帯があります。

エッグベルゲ地区は元々酪農を営む十数世帯が暮らす小さな集落でしたが、1955年に山麓と高原を結ぶロープウェイが建設されてからは、夏にハイキング、冬にはスキーを目当てに人が訪れるようになり、その後進められた本格的なスキー場の整備や別荘地の開発に伴い、地域を超えて有名なレジャーリゾートとなりました。

さらに、近年は山登りとウィンタースポーツはもとより、ロッククライミング、パラグライダー、マウンテンバイクといった、幅広い年齢層とそれぞれの趣味に対応した多種多様な自然アクティビティが楽しめるので、国外からの観光客も少なくありません。

しかも、それらの中には歴史や文化にさほど興味がなく、単純にスポーツや自然体験のためだけに来られる人も一定数いることから、アルトドルフは単なる建国ゆかりの地だけでなく、楽しみ方が豊富な場所であることが窺えます。

 

アルトドルフのレジャーリゾートで有名なエッグベルゲ地区

 

アルトドルフのご紹介は如何でしたか?

スイス誕生の場所として国を挙げて歴史的に重要な町でありながらも、自然を満喫できるリゾートも兼ね備えているのはかなり意外で、おそらく他の国でもなかなかお目に掛かれません。

したがって、わざわざアルトドルフまで足を運ぶのであれば、そういった全く異なる側面に触れて色々な体験をするのがお勧めですが、自身が見たいまたはやりたいことだけを良い所取りするのも決して悪くありません。

個人的には「スイスの原始的な風景」と呼ぶに相応しいアルトドルフないし、ウーリ州の自然に最も感銘を受けますので、皆様の中にスイスを訪れた際はやはりその独特な絶景の数々を直で見てみたいという方がいらっしゃるなら、絶対にウーリ州への訪問は欠かせません。

日程の都合や旅行計画の関係でそれが難しい場合はせめて電車でウーリ州を通って、車窓の景色だけでも楽しむことをご検討ください。

自分で言うのもなんですが、私は過去にドイツ語圏とイタリア語圏を毎週往復していた時期があり、電車に揺られながら幾度となく窓の外に広がるウーリ州の景色を眺めてきましたが、何度見ても優雅で綺麗な風景であるという感情が沸いて本当に飽きないです。

それどころか、スイスにおける最も素敵な鉄道路線のひとつであると断言できますので、皆様も是非その美しさに心を打たれてみてください。

では

Bis zum nöchschte mal!

Birewegge


 

今回の対訳用語集

日本語 標準ドイツ語 スイスドイツ語
無効 wirkungslos

(ヴィアークングスロース)

wirkigslos

(ヴィルキグスロース)

伝承 Überlieferung

(ユーバーリーフェルング)

Überliferig

(ユベルリフェリク)

敬意 Respekt

(レスペクト)

Reschpäkt

(レシュペクト)

Strafe

(シュトラーフェ)

Schtraaf

(シュトラーフ)

服従 Gehorsam

(ゲホアーサーム)

Ghorsam

(クホルサーム)

不屈の精神 unbeugsamer Geist

(ウンボイクサーマー・ガイスト)

unbüügsame Geischt

(ウンビュークサーメ・ガイシュト)

表現芸術 darstellende Kunst

(ダーシュテレンデ・クンスト)

darschtellendi Kunscht

(ダルシュテレンディ・クンシュト)

公民館 Gemeindehaus

(ゲマインデハウス)

Gmeindshuus

(クマインツフース)

上演する aufführen

(アウフフューレン)

uuffüere

(ウーフフュエレ)

幼稚園 Kindergarten

(キンダーガーテン)

Chindergarte

(ヒンデルガルテ)

 

参考ホームページ

アルトドルフ市オフィシャルサイト:https://www.altdorf.ch

ウーリ観光:アルトドルフ:https://uri.swiss/altdorf

エッグベルゲ地区オフィシャルサイト:https://www.eggberge.ch

スイス歴史辞典:アルトドルフ市:https://hls-dhs-dss.ch/de/articles/000690/2021-01-15/

 

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