「バターの塊をくり抜いた」と表現される都市ヌーシャテル

 

「禁断のお酒アブサン」「スイス時計」を始め、「日本で功績を残したスイス人」など過去の記事で複数回にわたってヌーシャテル州(Canton de NeuchâtelまたはKanton Neuenburg)の地名が登場したことを覚えていますでしょうか?

以前も申し上げたように、本ブログでは特定の地域をひいきにしておらず、スイスの各地方の魅力をご紹介したいと思っておりますので、同じ名前が度重なって挙げられたのは決して意図的ではなく、単なる偶然に過ぎません。

逆に、ヌーシャテル州はそれほど多くの魅力を持った地域ですので、皆様にはむしろそれがどのような場所で、どんな素晴らしさを持っているのかもっと知っていただきたいぐらいです。

したがって、今回はお酒と時計の名産地だけに留まらないヌーシャテル州の州都を担うヌーシャテル市をご紹介いたします。

 

君主国としてスイス連邦に加盟した異例の州

 

ヌーシャテル州はフランスと国境を接するスイス西部に位置し、州の南東部に広がるヌーシャテル湖(Lac de Neuchâtel)の北岸にその州都であるヌーシャテル市があります。

湖の沿岸は日当たりが良くて比較的平坦な地形になっていることから、古来より動物が水や餌を求めに来る場所でした。

そのため、紀元前13,000年には既にクロマニョン人が定住していたことが出土品から分かっており、その後の各時代にも住民が生活していた痕跡が残っています。

特に湖を起点とする水路に加え、2つの渓谷が合流する地形は貿易拠点として最適な条件を満たしていたので、ローマ帝国時代以降は常に集落が存在していたと考えられます。

ヌーシャテルの地名に関する最古の記録は、ブルグント王国のルドルフ3世(Rudolf III.)が婚約相手に「新城」を意味する「ノヴム・カステルム」(Novum castellum)と呼ばれる王家所有の土地を贈与した旨を示す1011年の証明書です。

とはいえ、ルドルフ3世には後継ぎが生まれなかったため、当該地域はその後神聖ローマ帝国の伯爵領となり、贈与や相続によって数百年もの間様々な貴族の管理下に置かれます。

そして、1504年にヌーシャテルがフランスのオルレアン=ロングヴィル家(Orléans-Longueville)に渡ったことで、同家が200年間領主を務める荘園になったのです。

また、周辺地域の併合による領土拡大を経て、ヌーシャテルは1618年に伯爵領から公国の地位を得ます。

しかし、1707年にオルレアン=ロングヴィル家が途絶えると、計19人による熾烈な相続争いが勃発し、プロイセン王国のフリードリヒ1世(Friedrich I.)が争奪戦に勝ち、ヌーシャテル公国の後継者になることが決定しました。

それ以降、ヌーシャテルは150年間プロイセン王国の所有領であり続けます。

1806年から1814年まではナポレオン・ボナパルト(Napoleon Bonaparte)に一時占領された他、直後のウィーン条約でアイトゲノッセンシャフトへの加盟が決ったものの、1848年の革命で共和制が宣言されるまでは「プロイセン所有公国」が正式名称として残り、君主制に終止符を打ったのもプロイセン王が所有権を放棄した1857年のことでした。

したがって、ヌーシャテルは元々君主国でありながら、貴族による支配に対抗して誕生したスイスに加盟した異例の州だったと言えます。

 

スイス最古の庁舎

 

ヌーシャテルを語る上でまず注目しなくてはならないのが、街全体とその周辺を一望できる高台に聳える豪壮なお城です。

前出の通り、ヌーシャテルはフランス語で「新城」という意味で、10世紀初頭に当時のブルグント王がその婚約者と共に新たな居城として使用するために築いたものとされています。

その後は、ブルグント王家の親戚を始め、様々な貴族が城主となり、何度も増改築され、修復も行われて現在の形になりました。

全体的にロマネスク様式になっていることからも分かるように、お城の最も古い部分は1000年以上も前のもので、ヌーシャテル市の誕生から今日までの歴史を物語るシンボルのような存在です。

共和制を宣言して、事実上城主を失った1848年以降は、州政府の一部機関がお城を庁舎にしている他、州議会が開かれる議事堂でもあります。

そのため、ヌーシャテル城はスイス国内で常時利用されていたものの中で最長の歴史を誇る公共の施設で、「スイス最古の庁舎」とも称されているのです。

また、お城のすぐ隣には2本の突塔が特徴的な「参事会教会」(L’église collégiale)も建っており、これは元々12世紀後半に城主を務めていた伯爵家の墓所を収容する教会として創建されたものですが、時代と共にそれぞれの城主の趣味に応じて変化していった結果、ロマネスクとゴシック様式が混合する珍しい造りとなりました。

 

ヌーシャテル城と参事会教会

 

とはいえ、教会は最初からお城と調和するように建設されたことから、同じ敷地に世俗と宗教という2つの異なる分野に属する建造物が並んでいることに違和感を一切抱かせず、むしろ建築的に一体感を有しています。

さらに、色とりどりのタイルを敷き詰めた装飾も見事で、美的観点からも実に立派な出来栄えです。

それ故、スイスに現存する12世紀の建築物の中では最高傑作と謳われています。

 

 

バターの塊をくり抜いて作ったかのような街並み

 

続いて、ヌーシャテルで見逃せないのが、お城と教会のある高台から湖畔まで広がる旧市街です。

旧市街は1000年以上もの歴史を誇るだけあって、所々に中世の城下町ならではの雰囲気が漂います。

「バター」のような色合いが特徴的なヌーシャテルの旧市街

特に、丸石を敷きつめて狭くて曲がりくねった街路に加え、中庭や小さな広場を囲みながら不規則に建ち並ぶ風情ある古民家を眺めて散策すると、百年前にタイムスリップしたのではないかと思ってしまうほどです。

とはいえ、一番目を惹くのは旧市街全体が暖かみを感じさせるクリーミーな淡黄色を帯びていることです。

これはお城と参事会教会にも見られるヌーシャテル市の特徴とも言えますが、建物の外壁は主に黄色い砂岩で造られているため、白から黄色の様々な色合いを見せて、温もり溢れる空間を形成しています。

その光景には多くの人々が感銘を受け、あの世界的に有名な「三銃士」の作者としても知られるフランスの小説家アレクサンドル・デュマ(Alexandre Dumas)は、ヌーシャテルの街並みがまるで「バターの塊をくり抜いた」(taillée dans une motte de beurre)ような印象を与えるとの言葉を残しました。

変わった表現を用いて少し分かりにくいものの、デュマはその言葉に軽蔑的な意味合いを一切込めておらず、彩色が柔らかでどこか心が落ち着く彫刻品みたいであることを伝えるために「バター」という単語を使用したと考えられます。

その影響もあって、19世紀後半から20世紀前半までの「ベル・エポック」と呼ばれる華やかさを追求した時代には、各国の富裕層の間でバカンスをヌーシャテルで過ごすのが一大ブームになったぐらいです。

そして、現在も衰えてないその魅力的な街並みを一目見ようと、今も世界中から多くの観光客が訪れています。

 

 

スイス公式時間を示した時計の聖地

 

ヌーシャテルは歴史的な町だけあって、古い町並みに惹かれてしまいがちですが、近代以降は産業都市として栄えた実績を持っており、中でも時計産業に関しては重要な役割を担ってきました。

以前、スイス時計の記事でもご紹介したように、ヌーシャテル州は長きにわたってスイスの時計製造業の中心でもあったことから、その州都であるヌーシャテル市には現在も時計職人の工房を始め、時計製造に関する様々な施設が多く残っています。

しかも、それらは数百年間も町を支えてきた背景や技術を伝えているだけではく、産地ならではの体験を提供しているものも少なくありません。

例えば、ヌーシャテル市に本社を持ち、高級時計メーカーとしてその名が知られている「パネライ」(Panerai)では工場見学ができる他、「時計製造センター」(Centre Horloger)と呼ばれる研究施設兼製造工房ではプロの時計職人の指導の下、自らムーブメントを組み立てて自身の腕時計を作る体験までさせてくれますので、時計好きの人には正に聖地のような場所と言えます。

また、時計との繋がりで忘れてはいけないのがヌーシャテル州立天文台(Observatoire cantonal de Neuchâtel)です。

スイスの公式時間の基準となっていたヌーシャテル州立天文台 (写真:Sinenomine2、CC BY-SA 3.0

 

この施設は天文学の研究を行う目的で1858年に設立されましたが、それ以外にも天文学的手法で時間を正確に測定することに加え、時計の制度を認証する機関でもありました。

特に、時間測定に関してはその非常に高い精度から各種時計メーカーのみならず、スイス連邦政府までもが公式時間の基準としていたのです。

というのも、一昔前までは12時30分になるとスイス公共放送局で毎日ヌーシャテル州立天文台が正確な時刻を知らせる音が流れ、それに合わせて全国民が一斉に自身の時計の針の位置を修正するという習慣がありました。

GPS搭載時計の普及によって当該天文台は2007年に時間測定業務を廃止し、天文学的研究のみに専念することになったものの、スイス人にとっては今でも当時の生活に欠かせないものだった思い出を呼び覚ます存在です。

 

ご紹介した内容以外にもヌーシャテル市の魅力はまだまだたくさんございますが、語りだすとなかなか終わらないのが現状ですので、今回は以上で終了いたします。

ご興味を持っていただけた方がいれば是非独自でリサーチして、ご自身がより深く追求したいものを見つけることをお勧めします。

また、ヌーシャテルは西スイスを横断する「時計製造業街道」(La Route de l’Horlogerie)や国境を跨ぐ「アブサン街道」(Route de l’Absinthe)など様々な街道の通過点にもなっているため、ひとつの分野を掘り下げて複数の場所を訪れながら視野を広げたい人にもうってつけです。

もちろん、ヌーシャテルだけでも充実した旅行を楽しむことが十分可能ですが、他の都市も訪問する際のワンストップとしても最適であることを知っていれば、それぞれの好みや目的に応じて滞在先の選択肢にも加えやすくなります。

逆に、これほど多くの楽しみ方があれば、訪問しない訳にはいきませんので、皆様が一生に一度はヌーシャテルに行かれることをご期待しております。

では

Bis zum nöchschte mal!

Birewegge

 


今回の対訳用語集

日本語 標準ドイツ語 スイスドイツ語
婚約 Verlobung

(フェアローブング)

Verlobig

(フェルロビク)

公国 Fürstentum

(フュルステントゥーム)

Fürschtetum

(フュルシュテトゥーム)

相続争い Erbschaftsstreit

(エアプシャフツシュトライト)

Erbschaftsschtriit

(エルプシャフツシュトリート)

タイル Kachel

(カッヘル)

Chachle

(ハフレ)

傑作 Meisterstück

(マイスターシュテュック)

Meischterschtück

(マイシュテルシュテュック)

丸石 Kopfstein

(コップフシュタイン)

Chopfschtei

(ホップフシュタイ)

砂岩 Sandstein

(ザントシュタイン)

Sandschtei

(サントシュタイ)

温もり Wärme

(ヴェアメ)

Wärmi

(ヴェルミ)

バター Butter

(ブッター)

Butter

(ブッテル)

時間測定 Zeitmessung

(ツァイトメッスング)

Ziitmässig

(ツィートメッスィク)

 

参考ホームページ

ヌーシャテル市オフィシャルサイト:https://www.neuchatelville.ch

ヌーシャテル州観光庁オフィシャルサイト:ヌーシャテル市:https://www.j3l.ch/de/Z10771/reiseziele/staedte/stadt-neuenburg

スイス歴史辞典:ヌーシャテル州:https://hls-dhs-dss.ch/de/articles/007397/2017-05-30/

スイス歴史辞典:ヌーシャテル市:https://hls-dhs-dss.ch/de/articles/002853/2021-09-08/

パネライオフィシャルサイト:https://www.panerai.com/de/de/home.html

時計製造センターオフィシャルサイト(フランス語のみ):https://centrehorloger.ch

ヌーシャテル州立天文台オフィシャルサイト(フランス語のみ):https://observatoire-neuchatel.ch

 

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